「福沢諭吉の正体」-④

 福沢諭吉は、「帳合の法」が簡単に修得できる技術であり、使いようによっては実際に役に立つことから、飛びついたものと思われる。

 日本には古来からの記帳方法-大福帳方式-があった。福沢が生れた江戸の末期には、この記帳方式は、朝鮮王朝の開城(けそん)簿記と同様に、記帳方法としては世界最高レベルに達していた。ソロバンを並用することによって、経営の実態を的確かつ迅速に把握することができる優(すぐ)れものであった。もちろん、独得の複式簿記であって、自己検算機能もしっかり具えていた。しかも、現在の簿記とは異なり、一切の仮定とか前提をおくことのないリアルなものであった。

 ただこの大福帳方式は、一朝一夕に修得できるヤワなものではなかった。もの心つく頃から丁稚(でっち)奉公に入って使い走りのかたわら、読み・書き・ソロバンの基礎を身に付けると共に、一歩一歩積み上げて、手代(てだい)になる頃にようやく一応の修得ができるとされていた技術だ。修得するのに、速い者でも5年から7年の年月がかかるとされていたのである。福沢が持ち込んだ、短期間で修得できる「帳合の法」のように片手間でできるようなものではなかったのである。

 手代(今の課長クラス)は、その後順調にいけば番頭(ばんとう。今の専務クラス)へと昇格するが、大店(おおだな)をまかされた番頭こそ、大福帳方式の匠(たくみ)の名に値する当代一流のプロフェッショナルであった。このレベルになると、日々の商(あきな)いの全て、つまり人・商品・お金の全てが、記帳するまでもなく、頭の中で瞬時にかつ立体的に把握されていたものと思われる。かつて「江戸時代の会計士」でとり上げた恩田木工(おんだもく)も、大店の番頭にひけをとらない記帳の匠であったに違いない。

 恩田木工は、信濃松前藩の財政建直しに文字通り命を懸けた人物である。同じ再建を任とする職人として近年もてはやされているのに、企業の再建請負人がいるが、それらとは月とスッポンほどの違いがある。この一つの事例として、日産自動車のカルロス・ゴーンを取り上げたことがある。(「カルロス・ゴーンとは何者か?」を参照のこと)。
 カルロス・ゴーンは、かつて倒産の危機に瀕していたフランスのルノーから日産に送り込まれた整理屋だ。親会社になったルノーの利益の為に、日産自動車の再建どころか日産を食いものにしただけであった。この事実は、カルロス・ゴーンが日産自動車に来てからの10年間、彼が何をしたのかを分析した結果判明したことだ。ルノーと日産自動車の有価証券報告書(マニュアル・レポート)を認知会計の視点から分析した結果である。
 カルロス・ゴーンは、今なお日産自動車のトップに居すわり、年額10億円という高額報酬を手にしていることでも有名だ。全上場会社の中でトップの高額報酬である。

 恩田木工とカルロス・ゴーンの違いは何か。一方は松前藩の財政再建にとり組み、片や日産自動車の建直しと称してルノーの再建にとり組んだ。その最大の違いは何か。
 ズバリ、再建計画のもとになった決算書と予算書の違いである。
 恩田木工が活用したのは、日本古来の大福帳方式によるもので、リアルなものだ。リアルであるだけにゴマカシがきかない。
 カルロス・ゴーンが活用したのは、簿記、つまり福沢諭吉が導入した「帳合の法」によるものだ。簿記自体が仮定に基づくものであることから、多分にヴァーチャルな部分が混入している。従って、実態を糊塗し、曖昧(あいまい)にしようと思えば簡単にできるシロモノだ。実際はルノーの再建であるにも拘らず、あたかも日産の再建であるかのごとく見せかけたのである。
 誤解を避けるために付言すれば、何もカルロス・ゴーンが粉飾決算に手を染めていたということではない。ここで言及していることは粉飾決算とは質の異なる問題で、簿記、ひいては制度会計そのものに、リアルではないバーチャルな部分が潜んでいることに起因する。

 このような、日本独自の発展を遂げた記帳方式について、福沢はその存在自体については知ってはいたであろうが、一体どういうものであるのか本当のところを理解していなかったものと思われる。福沢には商家での丁稚奉公の経験がないからだ。更に言えばソロバンだ。福沢はソロバンを弾(はじ)くこと位はできたであろうが、記帳にあたって肝腎なのは暗算だ。暗算、つまり頭の中にソロバンが明確な形でイメージされることだ。デジタル脳といっていいかもしれない。福沢にはこれが欠けていたのではないか。
 江戸末期、高度なレベルに達していた日本の漢方医学が捨て去られ、西洋医学が医学の主流になっていったのと同様の転換が、福沢諭吉によって会計の分野でもなされたのである。それはまさに蛮行(ばんこう)の名に値する愚かな行為であった。

(この項つづく)

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 ここで一句。

”コンビニで二十歳過ぎかと古希問われ” -川越、麦そよぐ

 

(毎日新聞、平成26年8月15日付、仲畑流万能川柳より)

(コンビニの、責任逃れの法令遵守。)

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