古代出雲のパワー・ストーン
- 2013.06.04
- 山根治blog
松江大橋の南詰に、丸みを帯びた細長い石が置かれている。もともと、松江の大庭(おほば。大神を斎(いつ)きまつる場所。松江市大庭町)にあったもので、古代出雲王国の祭祀に用いられていたものと伝えられている。重くて堅く、叩けば金属的な響きをもっているとされているところから、鐘のような役割を果していたらしい。
明治時代に松江を訪れ居を構えたラフカディオ・ハーンは、「知られざる日本の面影」の中で“叩くと鐘のように鳴る大庭の音石“(ミュージカル・ストーン)として世界に紹介している。
この石はまた、不動石としての伝承も持っている。江戸時代、松平の殿様がこの石に目をつけて大庭の大宮さん(現、神魂(かもす)神社)からお城まで運ばせようとしたところ、松江大橋南詰でテコでも動かなくなり、大橋川を越えることができなくなったとする伝承だ。
現物の大石は明治23年の時点で、「土の中に埋もれたまま今日まで残っている」(it lies there imbedded in the soil even unto this day)と、ラフカディオ・ハーンによって記録され、その後昭和になってから、現在の松江大橋(昭和12年竣工)の付替工事の際に、近くの川底から引き揚げられた。現在は松江大橋南詰の源助公園に置かれている。
この場所は古来、松江市民の祈りの場でもあった。最近は見られなくなったが、私の子供の頃、祖母が毎日のように通っては祈りを捧げていた。
明治時代の松江、ラフカディオ・ハーンは“神々の国の首都”と評し、松江大橋南詰を市民による代表的な祈りの場としている。
街の多くの人々によって毎朝繰り広げられる大橋川の川水による禊(みそぎ)-手と顔を洗い、口をすすぐ-と神々への祈り。パンパンと響く感謝の柏手(かしわで)は騒々しい位であったとハーンは伝える。
ラフカディオ・ハーンによって「ミュージカル・ストーン」と命名された不動石のまわりには、現在、大橋地蔵尊の祭壇、源助柱記念碑、深田技師殉職記念碑が配置されており、松江大橋と松江市民とをしっかりと見守っている。
私は一日に何度となく松江大橋を渡るのであるが、その度に大橋地蔵尊を拝礼し、不動石、つまりミュージカル・ストーンに手を接することにしている。眼の前に展開する大橋川の渦潮、まさに禊の女神、ハヤアキツヒメとの邂逅(かいこう)の場でもある。私に力を与え、心の迷いを吹き払ってくれる貴重な場所だ。
2,000年以上にわたって出雲の国の中心に位置し、人々の祈りを受けてきた不動石はまた、人々に心の癒しを与えてきたミュージカル・ストーンでもあった。古代出雲を代表するパワー・ストーンと称されているのも故なしとはしない。
***【追記】
現在進められている大橋川改修事業(「松江の庭-1 」「粉飾された2兆円-4」参照)は、現在の川幅を南側に20m広くしようとするもので、この貴重な祈りの場の景観を一変させるものだ。古代出雲を偲ぶ祈りの場が、永遠に消滅するということだ。その上、川の流れをスムーズにすることが計画されているために、主に松江大橋東側に発生する渦潮が消滅することになる。このことは、禊の女神ハヤアキツヒメの伝承を偲ぶよすがが消え去ることを意味している。
斐伊川放水路(工事費2,500億円、平成25年6月竣工)の完成によって、斐伊川の洪水部分が宍道湖に流入せず、日本海に直接排出されることになる。これによって、松江市街地は400年以前の水害のなかった頃と同様の状態になる。つまり、松江市街地の治水(洪水防止)を目的とする大橋川改修事業は不必要ということだ。このことは、国交省自らが行った、シミュレーションによっても読み取れることだ。
一握りの利益集団のために強行されようとしている不必要な公共事業は同時に、数々の違法性をかかえた不法事業だ。松江市の街づくりとセットで行なわれようとしているこの不法事業は、街づくりどころか、歴史的景観を破壊する“街壊し”以外の何ものでもない。直ちに中止すべきである。
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ここで一句。
(サムイ上にコワイから。触らぬカミに祟りなし。)
[ハヤアキツメ]
“荒塩の塩の八百道(やほぢ)の、八塩道(やしほぢ)の、塩の八百会(やほあひ)に座(ま)す、速開都比咩(はやあきつひめ)と云ふ神、(罪という罪を)持ち可可(かか)呑(の)みてむ…。”
(六月晦大祓(みなつきのつごもりのおほはらへ)の祝詞-延喜式)
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