創られた脱税ストーリー

 丸源オーナーの川本源司郎氏が、法人税法違反容疑で起訴されたという。マスコミ情報によれば、弁護側は、『修正申告には応ずるが、脱税するつもりはなかったので故意を争点にして徹底的に闘う。』ということらしい。意気軒高である。

 しかし、この弁護人のシナリオでは9割9分勝ち目はない。ハマリである。査察と検察のワナにはまったということだ。しかも、ご丁寧にも弁護人が介添え役をつとめて、査察と検察の脱税トリックの手伝いをしている。知らぬは仏ならぬ、川本源司郎氏だけである。

 査察が描く脱税ストーリー、従来からウサン臭いシロモノであるとは思っていたが、最近になって脱税ストーリーの背後にうごめく犯罪的トリックの全体像が見えてきた。査察だけが暴走しているのではない。国税庁ぐるみの大がかりなものだ。しかも、検察という暴力装置を巧みに操って納税者を食いものにする国家犯罪の様相を呈している。
 踊らされているのは検察だけではない。マスコミも同様だ。メディアを巧みに操って世論操作に余念がない。こと国税がらみでは、ほぼ完全に国税当局の御用機関に堕している大手マスコミ、査察と検察がリークするガセネタをそのままセンセーショナルな表現でタレ流している。この段階で、容疑者は巨額の脱税をした「犯罪者」「社会の敵」という烙印をしっかりと押されてしまう。社会の木鐸など、夢のまた夢、暴走権力の走狗と化している。
 起訴された後は裁判官の出番だ。この人達は司法試験レベル程度の初歩的な段階から抜け出すことのできない世間知らずである。
 脱税事件に関していえば、単に世情に疎いだけではない。各種税法だけでなく、日本国憲法を基軸とした税体系全体の理解に欠けている。税に関する法律を知らないということだ。法にもとづいて人を裁く役割の裁判官が税に関する法律を知らない、ブラック・ユーモアの世界である。脱税事件に関して首をかしげるような判例が数多く見受けられるのは裁判官が社会の実情と税に関する法律と税の実務とに無知であるからだ。いくつもの誤った最高裁判例が、なんら問題にされることなく放置されているのである。弁護士・税法学者を含む法曹界が一般国民の介入を排除してきた結果ではないか。独善的排他的なギルド社会の弊害である。
 査察の手先になっている検察官が公訴を提起し、無知無能の裁判官の手にバトンタッチされ、査察によって勝手に創り上げられた脱税ストーリーが訳の分らない判決となって見事に完成するという訳だ。これが国税庁が豪語する“脱税事件の有罪率100%”の実態だ。
 「脱税報道の空さわぎ」の記事の終りに、「密室で工作された冤罪」という語句をさりげなく挿入したのは以上の理由からである。

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 ここで一句。

“姑の服は着ないが宝石(いし)は別” -岡山、邪素民

 

(毎日新聞、平成25年3月23日付、仲畑流万能川柳より)

(やっと見つけたこの一句。このごろ気に入った句が少なくて。)

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