松江の庭-5

 山本隆志氏から、無責任な評論家と罵(ののし)られ風来坊扱いされてからほどなく、私の収入が急激に上向いてきた。糧道を断つと恫喝した山本氏の言葉通り、地元における仕事はさほど伸びなかったものの、地元以外の仕事が増えてきたのである。依然として手許に資金余力はなかったが、借入余力がついてきたので私は街中にあった事務所の移転を決め、大橋川のほとりに400坪の空き地を求めてささやかな事務所ビルを建築した。前述の通り、昭和59年、山本氏と口論し、決裂してから3年後、住民運動に参加してから2年後のことである。



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^cx^山根ビル前景

^cx^山根ビル3Fから大橋川を望む

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^<%image(20050603-DSCN2892.JPG|256|192|山根ビル前景)%>

^<%image(20050603-DSCN2898.JPG|256|192|山根ビル3Fから大橋川を望む)%>

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この新しいオフィスビルは、大橋川に面しており、川幅が大橋川流域では最も広いところに位置している。三階が私のオフィスであるが、南の大橋川に面した窓を広く、かつ低く設計した。机に座った状態で常に大橋川の川面(かわも)が見えるようにするためであった。
 大橋川は、淡水化が予定されていた宍道湖と中海を結ぶ川である。毎日のように大橋川を見つめ、川になじむことは私に心の安らぎを与えてくれるだけではない。自らを淡水化事業の直接的な利害関係者に位置づけ、誰からも傍観者、あるいは無責任な評論家呼ばわりされないためでもあった。

 仁多町(現在の奥出雲町)の知人から山林の買取りの話が持ち込まれたのは、新しいオフィスに移った直後のことであった。当初50haほどの山林が提示されたが、そのころ私は山林そのものには全く興味がなかったために断った。その後、同一人物が名勝「鬼の舌震」を所有していることが判明したことから、「鬼の舌震」であれば購入の意思がある旨伝えたところ、直ちに話がまとまり、「鬼の舌震」を含む20haの山林を購入することとなった。
 この時点で私の借入金は、総額で3億5千万円ほどになっていた。自宅、オフィスビル、山林、それぞれの購入資金のほとんど全てを借入金で調達したためである。差し引きすれば私のバランス・シートは、プラスマイナス・ゼロかもしくはマイナスであり、その意味では依然として素寒貧であることに変りはなかったが、多額の借入金をしているという重圧が私に適度な緊張感を与え、仕事に対する新しいエネルギー源になっていたことは否定できない。現在のような低金利時代とは異なり、年率で8%前後の貸出金利であったので、金利負担だけでも月に200万円超、元利では年間で5,000万円位になっており、積極的に仕事をこなしていかざるを得なかった。

 「鬼の舌震」は斐伊川の源流域に位置する渓谷である。この谷の水は、斐伊川に流れ込み、宍道湖、大橋川、中海、境水道を経由して日本海へと流れ出る。私の所有する渓谷のきれいな水が、淡水化によって汚されることなく日本海に流れ出て欲しい、いわば“私の祈り”にも似た願いがあった。この渓谷の存在は、多くの人達と共に淡水化反対運動を続けていく上で、どれほど大きな心の支えになったか図り知れない。気持ちが落ち込んだ時には、渓谷の遊歩道を散策することによって新しいエネルギーを受け、心身ともにリフレッシュすることができた。振り返ってみれば、これまでに数百回、この神話の谷に足を運んでいることになる。大橋川の上流域が『松江の庭』であるとすれば、この渓谷はさしずめ『奥出雲の庭』といったところである。
 今の時期は、谷川の水量が最も多くなる時であり、カジカガエルの恋の季節でもある。巨岩が迫ってくる谷間の遊歩道を、小鳥の鳴き声にも似た澄み切ったカジカの声を聴き、新緑のシャワーを全身に浴びながらする逍遥は、何物にもかえがたい至福の時を私に与えてくれる。

(この項つづく)

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 ここで一句。

“セレブとは地位か資産か品格か” -長崎、まいこパパ。

 

(毎日新聞、平成22年5月18日付、仲畑流万能川柳より)

(この頃テレビに出るセレブ、下品、軽薄、無教養。)

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