松江の庭-3

 『松江の庭』を望む籠の端の一角に縁あって小さな拠点を持つことができた。昨年の9月のことである。

 前々から松江大橋のたもとに生活の拠点が欲しかったし、なによりも大橋川改修事業に反対する拠点として最適の場所であった。籠の端地区の大半は、松江大橋の架け替えと川の拡幅のために買収される予定になっており、仮に私が売却に同意しなければ改修事業そのものができなくなるからだ。二年半前に手に入れた和多見町の土地も拡幅予定地にあり、してはならないムダな公共事業を阻止するためのクサビを2つ、打ち込むことができた。これは大橋川改修事業に反対する、いわば実力行使であると同時に、反対する私の立場を改めて明確に指し示すものだ。



 今から24年前の昭和60年、私は斐伊川の源流域にある一つの谷を購入した。天然記念物に指定されている『鬼の舌震(したぶるい)』20haである。この『鬼の舌震』は、単に奇岩巨石が折りなす風光明媚な場所であるだけではない。奈良時代に成立した出雲國風土記に「恋山(したひやま)」として記されている、出雲神話伝承地としても知られている。私はまた同時期に、斐伊川の下流域、大橋川のほとりに私の仕事の拠点を移すことにし、『山根ビル』を建築した。昭和59年のことである。斐伊川の上流域と下流域に拠点を持つことは、私の一つの祈りがもとになっていた。

 私は、宍道湖・中海淡水化事業に反対する住民運動に加わった一人であるが、その住民運動に参加する一年前に、島根経済同友会の場で淡水化事業についての検証を行っていた。
 当時、島根の経済界は文字通り政権政党である自民党一色であり、国策である淡水化事業については当然のように推進の立場をとっていた。私はそのような推進の方針に異を唱え、白紙の状態で、淡水化事業の是非を問い直すことを提言した。私が経済界の人達を説得する切り札としたのは水質とか環境の悪化そのものではなく、淡水化による経済効果、即ち損得計算であった。淡水化事業のプラス・マイナスを経済学と管理会計の手法を用いて具体的に計算し、淡水化を中止した場合には、すでに投入してきた財政資金をはるかに上回る経済効果が期待できること、逆に、淡水化を強行した場合には地域経済に測り知れない経済的損失が生ずることを数字によって示した。
 このような私の意見をベースにして、私が責任者の一人となっていた「地域問題委員会」において、国や県の役人とか、水質とか環境の専門家を呼んで勉強会を開いて意見を集約していった。
 一年後、私の提言は島根県と鳥取県の経済同友会の共同提言という形で結実した。昭和57年5月のことである。両県知事に対して、
「中海・宍道湖の淡水化試行は慎重に対処すべきである。」
とするもので、従来は公共事業推進一辺倒であった山陰の経済界の姿勢が大きく転換したことを意味するものであった。

 実は私が、経済同友会で淡水化反対の姿勢を明確に打ち出して、県下160名余りの会員に対して、淡水化事業の見直しを提言しはじめてほどなく、政財界のボスとおぼしき人からの意を受けて、私に圧力をかけてきた人物がいた。山本隆志氏である。松江市東本町に今でもあるスナック「山小舎」に呼び出され、2人で4時間余り話をすることになった。昭和56年のことであり、私は39才、山本氏は40台半ばであった。議論は白熱し、閉店時間をかなりオーバーしたため、「山小舎」のマスターに2人共追い出されてしまった想い出がある。

 山本隆志氏曰く、

「自分はかつて青年会議所の理事長として仲間と一緒になって、淡水化事業に対して、反対運動を起したことがある。環境破壊につながる、時代に逆行した事業であり、米の増産という当初の目的を失ったムダな事業であるからだ。ところが余りにも大きな壁にぶちあたり、道半ばにしてあえなく挫折してしまった。
 悪いことは言わない。この松江で、自分達でさえできなかったことだ。山根にできるはずがない。どうしても意地を張るようなことをすれば、せっかく会計士として松江に帰ってきたのに誰も相手にしなくなり、仕事ができなくなるだろう。」

 私に対する侮辱であり、恫喝である。たしかに、山本隆志氏は現在はともかく、当時はそれなりの老舗(山本漆器店)の社長であり、青年会議所の理事長をやっていたというのであるから、松江の最貧困層で育った年下の私を見下し、会計事務所開設後まだ日が浅く、仕事先はノドから手が出るほど欲しい状態にあるのを見透かしていたのであろう。
 しかし、私は子供の頃からヘソが曲がっていることにかけては人後に落ちるものではない。貧乏世帯で育ったことをあからさまに侮辱され、糧道を断つと恫喝されて、黙って引っ込む訳にはいかない。
 話し合いは過熱し、激論になった。

(この項つづく)

 ―― ―― ―― ―― ――

 ここで一句。

“自民党急に民意と言ってもなあ” -東京、ドド子。

 

(毎日新聞、平成22年5月23日付、仲畑流万能川柳より)

(政権ボケで半世紀、にわか野党が身につかぬ。)

***松江の庭-平成22年5月17日撮影
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^cx^籠の端の寓居より、松江の庭と松江大橋を望む
^cx^籠の端の寓居より松江の庭と宍道湖大橋を望む
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^<%image(20100601-s_CIMG1363.jpg|400|300|籠の端の寓居より、松江の庭と松江大橋を望む)%>
^<%image(20100601-s_CIMG1364.jpg|400|300|籠の端の寓居より松江の庭と宍道湖大橋を望む)%>
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