乾隆帝の壺-2

 この瓶の特徴は、乾隆帝が直接かかわった印(しるし)がいくつか書き込まれていることだ。上から順に、

-「乾隆御覧之寳」

-「宜子孫」

-「三希堂精鑑璽」

と読めるものがそれである。それぞれが篆書(てんしょ)で記されている。(写真撮影は、澤田暉夫氏による。)

【乾隆御覧之寳】

【宜子孫】

【三希堂精鑑璽】

乾隆帝の壺【乾隆御覧之寳】
乾隆帝の壺【宜子孫】
乾隆帝の壺【三希堂精鑑璽】

これらは中国の国宝クラスの書画に朱印されていることでおなじみの印影であるが、磁器の中に書き込まれているものにはこれまで出会ったことがなかった。「乾隆御覧之寳」は、文字通り乾隆帝が自ら手にとって見た宝物といったことであろうし、「三希堂精鑑璽」は、紫禁城の中にある乾隆帝のプライベートな部屋であった三希堂で、乾隆帝自身がじっくりと見たといった意味合いであろう。ちなみに、璽(じ)とは天子の印章の謂(いい)である。
 ところが真中の「宜子孫」にいたっては、はじめのうちは一体何と書かれているのかさえ私には皆目見当がつかなかった。篆書自体を読むことができなかったのである。手許にある中国陶磁器あるいは乾隆帝に関する本をめくったり、ネットで検索しまくってみたものの分からない。
 諦めかけていたところ出会ったのが、一枚のパンフレットである。それは、平成20年7月15日から東京都江戸東京博物館で開催されていた「北京故宮-書の名宝展」の案内であった。展示前から、書聖と称せられる王羲之(おうぎし)の蘭亭序が初めて日本にやってくるという前評判で注目されていた展示会である。
 パンフレットの表紙には、

「永和九年、歳在癸丑。暮春之初、會于會稽山陰之蘭亭。脩禊事也。」
(永和九年、歳(とし)は癸丑(きちゅう)に在り。暮春(ぼしゅん)の初め、會稽山陰の蘭亭に會す。禊事(けいじ)を脩(しゅう)するなり。)

で始まる蘭亭序が4行にわたってカラー印刷されていた。

 私の目をひいたのは、真中に縦に押捺された4つの朱印。上から3つの朱印は瓶に金料で記されていた印影と同様のものであり、そのうちの3つ目の朱印が私には解読できなかったものである。
 展示会には展示品を詳しく説明した図録がつきものだ。その図録を見れば、あるいは印影の判読ができるのではないか。東京に出向いて「名宝展」を見て、その図録を購入しようとしたが、どうしても日程の調整ができなかった。当時体調を崩しており、松江でくすぶっていたのである。
 そこで、東京在住の長男に電話して、展示会の図録を入手するように依頼した。
 ほどなく図録が送られてきた。

(この項つづく)

 ―― ―― ―― ―― ――

 ここで一句。

“ボート漕ぐ 夫が王子に 見えた頃” -静岡、寺田ハンナ。

 

(毎日新聞、平成21年10月16日付、仲畑流万能川柳より)

(岸にいる妻は天女に見えました。)

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