裏金について -1

※この文章は、弊社主任コンサルタントの山根治が山陰経済ウィークリーという雑誌に以前執筆したものを再掲したものです。



 昨年はいわば“献金”の当たり年ともいえる年であった。ロッキード事件の公判が衆目を集めている折から日商岩井の五億円献金問題が明るみに出、次いで密輸摘発に端を発したKDD問題へと続き、昨十二月十一日終わった第九十臨時国会においては、税理士法改正実現のために巨額の献金をした税理士会がやり玉にあがった。いずれの場合でも政治献金であるのか、ワイロであるのか、法的には極めて難しい問題をはらんでおり、早急に判断を下すことはできない。司直の手によって解明されるのを待つ以外にないであろう。

 私は政治家でもなければ法律家でもない。一介の職業会計人にすぎない。職業会計人の基本的思考方法の一つは、現実に即して実際のお金の流れを追及することにある。“献金”という問題に、この考え方を適用すればどうなるであろうか。
 かつて私は、先輩の公認会計士から監査の要諦(ようてい)は相手の立場に立って考えることにあることを教えられた。つまり、たとえば不正発見の調査の場合、自分がもし担当者であったならどのような手段で不正を働くか、徹底的に考えろという訳である。一定の状況のもとで不正を働くというのは意外に難しいものである。人間の考えることは同じようなもので、不正の手段は限られてくる。その特定の状況のもとに当事者として自分を置いてみるのである。物事の筋道は鮮やかに浮かび上がり、短時間のうちに結論が得られるというのである。

 いま仮に、経理担当重役が社長から献金のための資金を捻出するように指示されたとしよう。組織の一員として、至上命令は達成しなければならない。しかも、あらゆる面で問題の起こらない手段によって資金を捻出しなければならないものとしてみよう。たとえば、証券会社を例にとって具体的に考えてみよう。この証券会社は、ブローカー部門のみでなくディーラー部門をも有する中堅の会社と仮定しよう。政治家A氏に、二億円の政治献金を次のような方法で行なったとしたらどうであろうか。

 自社保有のA銘柄(株価五百円、簿価四百円)二百万株を、A氏の政治団体であるB政治研究会に売約する。所要資金十億円は、社長の個人保証による某銀行からの融資を斡旋し、決済させる。その後、配下の地場証券を買い方に立たせ、小口の売買をひんぱんに行なう。ディーラー部門を売り方にし、次第に値をつりあげていく。ムードづくりのために、地場筋を通して株価材料となる情報を流していく。かくて、時価が百円高の六百円に至った段階で、クロス商いによってB政治研究会より二百万株を買い戻し、いわゆる“特別推奨銘柄”として各支店を通じて一般投資家にはめ込んでしまう。

 これをまとめてみればどうなるであろうか。
 証券会社自身は、簿価四百円の株式二百万株を時価の五百円で売り十億円のキャッシュを受けとり、二億円の差益を得た。B政治研究会は、A銘柄二百万株を五百円で買い六百円で売り逃げ、同じく二億円の差益(金利、手数料は別)を得た。某銀行は、証券会社社長の個人保証によって十億円の短期資金をB政治研究会に貸し付け回収した。
 仮に、六百円で買い取り、六百円で一般投資家にはめこむことができないとしても、その損失に相当する部分は、当事者が具体的な説明をし、自主的に振替処理をしない限り、税務上は損金とせざるをえず、会計監査上も寄付金としての表示を強制することはできない。理屈の上では寄付金になりうるとしても、当事者が黙っている限り合実務的に立証するのが不可能に近いからである。

(山陰経済ウイークリー 昭和55年1月8日号「明窓閑話(1)」)

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