冤罪の構図 -号外

 司法公務員(とくに検察官と裁判官)の非行に関して、読者の方からご意見を賜りました(コメントNO.1343、三治さん)。『よく刑罰による抑止力、という言い方がされますが。抑止力を運用する側には、その絶大な力を制御しきるだけの高い倫理意識が必要なのだと思います。
……
(抑止力の)間違った運用、例えば冤罪による訴追と、裁判によるその追認を抑えるためには、再び抑止力を使えばいい。
即ち、そうした行為に対して厳罰に処する法律を作り、法務省管轄とは別の組織がそれを運用する形で、現状最高裁判事の信任投票のような中途半端な形で誤魔化されている、市民による司法のチェック機能をより強化すべきではないかと。』

「三治」さんは、司法にたずさわる人達が事実上野放し状態にある現実をよくご存知のようです。公務員の違法不当な行為を厳罰に処すことができるように法の整備をし、それをもって抑止力としたらどうかというお考えに賛成です。検察官とか裁判官はまさにやりたい放題、私も11年前に逮捕され刑事法廷に引っ張り出されるまでは日本の司法制度の実際がこんなにヒドイものだとは思ってもみませんでした。法の建前と現実とが、あまりにもかけ離れていたのです。

 検察官などのモラルハザード(倫理観の欠如)は、単なる個人レベルの問題ではないようです。
 一つには江戸時代以来連綿として続いているお上(かみ)意識があります。お上は一般国民と比べて一段と高いところに存在し、国民を統治し、管理するという意識です。明治維新は、徳川政権から薩摩・長州などの政権に移っただけのことで、お上意識は強まりこそすれ江戸時代と変ることはありませんでした。第二次世界大戦後にアメリカから押し付けられた憲法では、たしかしにお上という考え方はなくなり、逆に公僕(シビル・サーバント)として国民に奉仕する者と規定されるに至ったのですが、しかし役人達のお上意識が変ることはありませんでした。
 しかも、この50年間について言えば、自民党一党支配の政治が続き、いわゆる政官財の癒着による馴れ合い状態を背景にして一般の公務員にまで緊張感がなくなり、仮に非違行為があったとしてもお互いにかばい合い隠蔽し続けてきたのです。加えて、お上たるもの誤ったことをしてはいけないし、するはずがないといった、およそ現実離れした神話が横行していました。いわゆる、官僚の無謬性(むびゅうせい。理論・判断に誤りがないこと-広辞苑)の神話です。
 ところが、このところ政官財の癒着のトライアングルにほころびが目立つようになり、それに伴って政治家だけでなく、役人の非違行為が明らかにされるようになりました。検事などの特別職の非行も同様です。
 しかし、白日のもとにさらされるのはまだまだ氷山の一角です。そのうえ、非行が明らかになったとしても、現在のところはほとんどが知らぬ顔の半兵衛をきめこむか、あるいはおざなりの処分で終っているのが実際です。従って、「三治」さんのおっしゃるように、不心得な役人にしかるべき責任をとらせるような法の整備をし、国民がしっかりチェックすることが必要でしょうね。
 「三治」さんは、コメントの最後に、法の整備を推進するためには、

『世に数多ある冤罪事件を明らかにし、この問題を社会的なものにしていかなくてはなりませんね。』

と提言されています。もちろん私は大賛成です。幸いなことに現在はインターネットの時代です。発言に責任を持つ以上、誰でも自由に発言できるのです。公僕である公務員の非違行為について実名をあげてネット上で公表すること、これこそ、法律による制裁以上に、不心得な公務員の非行の抑止力になることでしょう。

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 ここで一句。

“変えましょう お役所仕事 いい意味に” -京田辺、茶ップリン。

(毎日新聞、平成19年8月22日号より)

(変りません-国民。変えたくありません-役人。)

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