182 珍書 -4
- 2007.08.07
- 引かれ者の小唄
***その4)
久しぶりに森脇将光の珍書「風と共に去り、風と共に来りぬ」を読んでみたくなり、県立図書館に行った。貸出禁止の郷土図書となっていたため、書庫から出してもらって閲読。
執筆当時(昭和29年~30年)の森脇将光は50歳代半(なか)ば。今の私より10歳も若い。彼が謀略であったと断じている、3年前(昭和27年)の逮捕劇が全ての出発点となって、事実は小説より奇なりを地でいくストーリーが展開。逮捕され、22日間に及ぶ拘留を終えて「嫌疑なし」の処分によって出所したところ、苦労して築いてきた数億円に及ぶ財産(現在の200億円相当か)が跡形もなく消えていた。
謀略の背景と消え失せた財産の行方について、粘着質の探索を開始、その執念が実を結び、逮捕の一周年記念日に合わせて検察庁に告訴状を提出するに至る。これを契機として、世を騒がした疑獄(ぎごく。俗に政府高官などが関係した疑いのある大規模な贈収賄事件をいう、-広辞苑)へと発展。
金に異常な執着を持つ高利貸しならではの執念であり、彼の徹底した情報収集には舌を巻く。政財界の密談の場所であった赤坂界隈の料亭をターゲットにして、いつ、どのような人物が会合を持ったのか、克明な調査を行ない、記録として残した。これが世に言う「森脇メモ」である。この調査には、一年有余の歳月が費やされ、延べ千数百人の調査員が動員されたという。膨大な量のメモの一部が、「風と共に去り、風と共に来りぬ」疑獄篇(前)の257ページから269ページまで「連夜の盛宴」として載っているが、なんともスサマジイものだ。時の吉田茂内閣を瓦解(がかい)させるに十分な破壊力を秘めていたのも納得できる。この詳細を極めるメモを手にした検察当局はさぞかし舌なめずりしたことであろう。
「一介市井(いっかいしせい)の野人」を自負する森脇が放った矢は、ズバリ吉田内閣の中枢を射抜いた感があった。政権の要(かなめ)であった佐藤栄作と池田勇人の逮捕請求がなされようとしたとき、時の法務大臣犬養健(昭和初期の作家、のち政界に。元首相であり5.15事件の凶弾に倒れた犬養毅の息子。犬養道子の父)の指揮権発動によって中断、捜査は中途半端な状態で終ったものの、第5次吉田内閣はほどなく総辞職、長期政権の幕がおりる。
この間の経緯について森脇将光は感慨をこめて述懐する-
-吉田茂(首相)
-佐藤栄作(幹事長)
-池田勇人(政調会長)
-犬養健(法相)
の4人は、いわば指揮権四人男である。
西に山口の佐藤栄作、東に岡山の犬養健がおり、その真中に広島の池田勇人がいる。これを束ねるのが、南に位置している高知の吉田茂だ。首相の吉田茂はいわば扇の要(かなめ)。吉田を要とする扇を狙いうちするのは、北に位置する島根の自分ではないか。
那須の与一が壇の浦で、平家の軍船にあげた扇の的(まと)を見事射通したように、一介市井の野人の手になる「森脇メモ」が指揮権四人男の扇の要である高知の吉田茂をみごとに射通したではないか。
“われ勝てり”の感慨を胸に、三年の苦闘を抜けた後の光風霽月(こうふうせいげつ。“後ろ暗い所が無いので何事につけてもこだわりが無く、胸中鏡のごとく平静な心境”-新明解国語辞典)、まさに男子の一大欣快事であった。』
歌舞伎役者が、舞台の真ん中で大見栄を切っている観がある。口を横一文字に引き、両眼をカッと見開き、両腕を挙げ、五本指を全開にしてポーズを決めている。写楽の描く千両役者顔負けだ。この人物、なるほど、並の高利貸しではない。光風霽月とカッコつけてみたものの、森脇将光の心境はこれとは対極に位置するものであったろう。
平成元年7月23日に行なわれた第15回参議院選挙は、先般の参院選同様に自民党が大敗。敗因は、消費税・リクルート事件・農業問題のいわゆる“3点セット”に加えて、宇野宗佑首相の女性スキャンダルがあったと言われている。
宇野首相が、参院選惨敗の責任を取って、開票日の翌日に内閣総辞職を表明したときに発した言葉を想い出す。曰く、明鏡止水(めいきょうしすい。“心の平静を乱す何ものもない、落ち着いた静かな心境”-新明解国語辞典)、光風霽月と似たような言葉だ。
高利貸しが光風霽月とカッコつけ、政治家が明鏡止水と気取る。共にチグハグな感が否めない。ちなみに、明解な自己主張をしていることで知られている「新明解国語辞典」は、明鏡止水の意味を説明した後に、次のような皮肉な説明を加えている。