冤罪の構図 -10
- 2007.07.31
- 山根治blog
証券取引法で禁止されている利益要求行為は、顧客が単に「儲けさせてくれよ」とか、あるいは「いい株があったら教えてくれ」といった程度の要求は含みません。このような会話は普通の株取引で頻繁に交されるもので、処罰の対象にはならないのです。考えるまでもなく、当然のことでしょう。
処罰の対象となる要求は、“積極的に市場の価格形成機能をゆがめるような行為を要求すること、あるいは、証券会社に違法行為を行うよう求めること”
(“冤罪の構図-7”参照のこと)に限定されており、要求の範囲をぐっと狭く絞っています。
ところが、東京地検特捜部が行ったことは、驚いたことに全く逆のことでした。要求の範囲を勝手にどんどん拡大して、普通に証券会社と顧客との間で交される、
「分かりました」
といったことまで、ケシカラン、処罰すべきだと言い出したのです。
新井将敬氏と平石弓夫氏(元日興証券副社長)との会話記録は、このような検察の対応のしかたについて明確な言葉で明らかにしています。
(新井将敬と日興証券との会話記録、平成9年12月25日の会話記録より)
(新井将敬と日興証券との会話記録、平成10年1月20日の会話記録より)
平石弓夫氏は密室で検事とやりとりした会話を素直に再現し、一般の経済人の感覚で強い疑問を投げかけています。
この会話の当事者は、国民の選良である代議士と日本を代表する証券会社の一つである日興証券の副社長です。チンピラ同志のコソコソ話とは訳が違います。当然のことながら、この二人の会話の信用性は高いものと考えていいでしょう。二人とも訴追を目前にした会話であるだけに、ギリギリのところで話しをしており、いいかげんなことが入り込む余地はないでしょう。
更に言えば、私自身の体験に照らしても、二人の会話の中に嘘・偽(いつわ)りは一切ないものと判断して差しつかえありません。
11年前の平成8年1月から3月にかけて、40日間、私は松江刑務所拘置監で、中島行博検事の取調べを受けました(“冤罪を創る人々”第4章、5、検察官中島行博の生活と意見、参照のこと)。
私の逮捕容疑は、広島国税局と松江地方検察庁がデッチ上げた冤罪でしたので、なんとしてでも私を罪に陥れようとして連日連夜、あの手この手で私をいじくり回し、翻弄(ほんろう)しました。次から次へと妙チクリンな屁理屈を繰り出してくるものですから、応対をするのにくたびれ果ててしまいました。
しかし、私もお説ごもっともとばかり、かしこまってはいませんでした。中島検事があまりにも現実を無視したトンデモないことを前提にして、意地悪な質問をネチネチと繰り返すものですから、私もキレてしまい、中島検事を大声で叱りつけたことがあります(詳しくは、“冤罪を創る人々”第4章、5.検察官中島行博の生活と意見、-3.尋問 九~一二、参照のこと)。
ただ、一般社会ではとうてい経験することはない身勝手で“怪しげな理屈”が中島検事の口から次々と発せられるのにいたく興味を覚えたものですから、せっせと記録に残しておきました。このようなチャンスは、めったにあることではないからです。
この記録などをもとにまとめたのが『冤罪を創る人々』ですが、そこに書き漏らしたことがあります。それは、中島行博検事が発した次のような言葉です。
佐藤優氏とか鈴木宗男氏が非を鳴らしている「国策捜査」と似たようなことを、検察当局は私に仕向けていたということです。歪んだ正義感を振り回しては罪刑法定主義を土足で踏みにじり、訴追権という国家権力を弄(もてあそ)んでいると批難されても仕方ないでしょう。
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ここで一句。
(7月29日の参院選で自民、歴史的な惨敗。ソクラテスを死に追いやった古代ギリシャのデマゴーグ。平成のデマゴーグ、小泉純一郎の6年間とは何であったか。100兆円前後の国益が海外へと消えたのでは?)