179 珍書 -1
- 2007.07.17
- 引かれ者の小唄
***その1)
なんとも怪しげな本が出版されたものだ。ヤメ検の田中森一氏の手になる、「反転」-闇社会の守護神と呼ばれて(幻冬舎)である。週刊現代の記事(“冤罪の構図-2”と“冤罪の構図-5”を参照)は、この本のいわば前宣伝であった。早速購入して一読したものの、どのように評していいのか、とっさには言葉が見あたらない、実に珍妙なシロモノであった。
はじめに“奇書”という言葉が思い浮かんだ。奇妙な本だからである。辞書で意味を確認する。広辞苑は、「珍しい文書、書籍」とだけあって、ピンとこない。それではと、新明解国語辞典(三省堂)にあたってみた。すると、
とある。奇書がこのような意味合いのものであるとすれば、私がイメージしているものとは全く異なる。積極的にプラスの評価を与え、絶賛しているのであるから、私のイメージとは正反対のものだ。
奇書がふさわしくないとすれば、ピッタリする言葉は何か。困ったときの神頼みとばかりに、岩波の「逆引き広辞苑」をめくってみる。
「よし」を引いて「しょ(書)」をひっぱり出す。すると、
以下、ズラッと300ほどの「~書」というコトバが並んでいる。ザッと一覧して、私のイメージにひっかるものをテキトーに抜き出してみた。
この9つのコトバについて一つずつ辞典にあたって意味を確かめたところ、私のイメージに当らずとも遠からずといったコトバが見つかった。それが「珍書」である。
のことだ。
珍書(ちんしょ)は、奇書と違って、珍しいということにとどまっており、それ以上の価値判断が入っていない。なんとも珍妙なシロモノであるとする私のイメージに近いものだ。
田中氏の著作は、珍書である。元特捜検事が、ジャーナリストの森功氏の執筆協力を得て、400字詰原稿用紙で820枚も費やして書き下した作品は珍妙としか表現しようのないものだ。
17年間にわたって検事をやっていた人物が、闇社会専門の弁護士になり、想像を絶する方法で荒稼ぎをした挙句、古巣の検察に逮捕・起訴された。一審では懲役4年の実刑、二審では懲役3年の実刑を受け、現在最高裁に上告中。当人は、ヌレギヌを着せられたとして冤罪を主張している。
この人物のユニークなところは、冤罪の根底に東京地検特捜部のデタラメぶりがあることを暴露したことだ。複数の検事総長経験者を含む、多くの検事の実名を挙げ、具体的事案に即して明らかにしているのである。明らかに嘘を言っている、あるいは単なる憶測でしかないことも散見されるのであるが、それらを差し引いたとしても、17年間もの間検事をやっていた人物の、ヤケッパチとも言える告白は現実味をもって生々しく迫ってくる。
これだけでもユニークというのに十分であるが、驚いたことに田中森一氏はそのような検察当局のデタラメ捜査にどっぷりとつかっていたという。デタラメな捜査、つまり無辜(むこ)の人を犯罪人に仕立て上げたり、逆に犯罪者を偽りの手段を用いて敢えて見逃したりといった、インチキ捜査に自らも検事として深く関与していたというのである。同じ穴のムジナである。
冤罪を声高に叫ぶ田中氏の論理はこうだ。
まともな社会では到底通用しない、倒錯した論理である。このように自分勝手な言い分を大真面目に主張している人物が、かつて17年間もの間検事として、国家権力としての訴追権を振り回してきたのである。なんとかに刃物といったところだ。これは自発的な自白であり、そのまま事実と認めてよいであろう。日本国民としては誠に迷惑千万なことであり、考えただけで背スジが寒くなってくる。検事の全てが、このような訳の分からない論理を弄んでいる訳ではないであろうが、少なくとも一人、しかも、時のマスコミによって、「敏腕検事」とか、「選りぬきの凄腕検事」とかもてはやされた(“反転”、P.10)ものの、その実態たるやなんともオソマツな理屈をふりまわす一人の検事が存在したことは、まぎれもない事実なのである。
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