167 続・いじめの構図 -11

****その11)
税理士会が登録申請用紙をなかなか交付しようとしなかったことに端を発し、いざ登録手続きに入ると、あれもこれもと盛りだくさんの趣旨不明の書類を用意させられた。いじわるである。やっとのことで全ての書類を準備して、登録手続きに税理士会へ赴くや、書面審査と申請書の訂正とに5時間もかかる始末であった。いじめである。

それでもともかく、登録申請書の受理はなされたのである。なんとかケチをつけて、私の税理士登録を阻止しようと懸命になっていることは明白であったが、いったん申請の手続きをした上で、これからどのような展開になるのか、冷徹な眼でしっかり見届けることにした。受理されてから後も、様々な嫌がらせとかいじめが繰り広げられることが予想されたので、全て克明な記録として残すことにした。客観的な事実の集積こそ、何よりも確実に自らを守ってくれるものであることを、自らの冤罪事件によって知ったからである。
平成5年9月28日、冤罪事件の端緒となった、広島国税局のマルサによるガサ入れがあったときに、

『偽りの捜査令状を振りかざしている国税局の無法者どもが、一体何をやるのかしっかり見届け、職業会計人の目線で細大漏らさず記録に残してやろう』

と決意し、その結果として、私の手許には膨大な量の記録が残った。このような取り組みは、その後に続いた刑事裁判に資するところ大なるものがあったし、何よりも私の精神面の支えとなった。できるだけ客観的に自らの状況を把握しようと努めたことが、ともすれば揺らぐ私の心をしっかりと支えてくれたのである。現況の客観化が私を救ったと言ってよい。この記録と裁判関係資料とをベースにまとめたのが、「冤罪を創る人々」である。

かつては国税局の無法者どもを撃退した手法が、このたびは国税当局の意を受けた税理士会の無法者どもを撃沈せしめる有効な手法となることを確信した。しばらくは、無法者の言うがままに動き、たとえ理不尽なことであろうとも全て従うことにし、三ヶ月の辛抱、と自らに言い聞かせた。韓非子、非情の処世訓である。

三ヶ月の辛抱とは何か。不完全な税理士法といえども、民主国家である日本の法律、腐っても鯛である。税理士の登録事務を国から委嘱されているにすぎない税理士会が、とことん横車を押すことができるようにはなっていない。しっかりと歯止めがかけられているのである。

税理士法第24条の二、第2項は次のように定めている。

「登録申請書を提出した者は、申請書を提出した日から三月を経過してもなんらの処分がされない場合には、登録を拒否されたものとして、国税庁長官に対して、行政不服審査法の定めによる審査請求をすることができる。この場合においては、審査請求があった日に、日本税理士会連合会が登録を拒否したものとみなす。」

つまり、税理士会がどのような嫌がらせをし、登録を妨害しようとも、三ヶ月が限度である、ということだ。申請書を提出したのが、平成18年10月12日であったから、三ヶ月後の同19年1月11日までに登録が完了しなければ、行政不服審査法による審査請求をすればいいだけのことである。この時点で自動的に税理士会の手から離れるのである。いくら私に嫌がらせをしようと思っても、できなくなるということだ。しかも、この三ヶ月の間になされた、税理士会の嫌がらせ行為が理不尽なものであればあるほど、審査請求の審理に際して、私に有利に働くはずだ。私をいじめ抜いて、税理士業界から締め出そうとすればするほど、無法者どもの意図とは逆の結果になるということである。このように見極めた私は、税理士会のいじめ行為を楽しみながら見物することにした。心のゆとりが生じてきたのである。税理士会のいじめ騒動ならぬ、サル山のバカ騒ぎといった趣き、こうなったら高みの見物である。

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