ゲームとしての犯罪 -号外
- 2006.05.02
- 山根治blog
コメント[784]への回答ですが、少し長くなりましたので「ゲームとしての犯罪-号外」としました。
いつも熱心に読んでいただき、感謝しています。
ご指摘の孫正義さんについては、今のところこの人を論評するだけのデータを集めて分析していませんので、何とも言えません。ただ、あなたのおっしゃるように、初めのころの孫氏が、『相当怪しげな堀江もどきの足跡を残して』いるのが事実であるとすれば、その後、いくら事業が大きくなったにしても、バベルの塔のようにもろくも崩れていくことでしょう。それにしても、いくら若くてエネルギッシュな人であっても、関連会社が300社を超え、しかも、このところボーダフォンの買収で一兆数千億円という巨費を投ずるなど、強引な拡大路線を突っ走っており、側から見ているだけでも疲れてしまいます。孫さんも、いいかげんくたびれているのではないでしょうか。あるいは、自らがいまどのような状況にあるのか、把みかねているのかもしれませんね。
事業に関して言えば、それぞれに与えられた仕事をキッチリと仕上げ、社会に貢献した利益の一部を享受する、というのが基本であると考えます。やたらに規模を大きくするだけが能ではありません。
このような考え方は、なにも私が考えついたものではありません。昔から近江商人が実践してきた、自らの足元をしっかりと見つめるのを基本とし、”三方良し”の理念を掲げる『商(あきない)の道』です。横文字がやたらと出てくる、外国からの借物の経営学などと較べものにならないほど、日本人ならではの優れた考え方です。
文面から察するに、京都で5代も続いた事業を経営なさっているようですが、どのような事業であろうとも、5代も続くということは容易なことではありません。5代も事業が継続してきた事実こそ、あなたの会社が地域社会にしっかりと根を下ろし、各時代において社会が認める、立派な貢献をなさってきた証しとも言えるでしょう。誰にでもできることではなく、素晴らしいことです。
一部のアングロサクソンがこしらえた怪しげなビジネスモデルを、ひたすら真似をして荒稼ぎをし、にわかセレブを演じている人達のことは、余り気になさる必要はありません。このような存在は、やたらとマスコミに露出し、湯水のようにカネを使って派手に振舞っていますが、悪銭身につかずで、いずれバブルと消えていくでしょう。いつの時代にも存在する、枯木も山の賑(にぎわ)い、といったところです。
社会において無益なもの、あるいは有害なものは、時間が淘汰してくれるものです。Mファンドのような“銭コロガシ”、一部の人材派遣業とか介護ビジネスのような、フリーターとかニートからの“ピンハネ屋”、消費者金融と呼び名をかえただけの、社会的弱者を食いものにしている“高利貸し”、これらは、いくら大義名分を並べたてたところで、所詮、手前勝手な屁理屈の域を出るものではありません。社会に対して、真に貢献できるものがなければ、事業として虚しいものです。私はこれらの“シノギ”について、全面的に否定するつもりはありません。ただ、カタギの仕事とは思えませんので、できれば私の近くにいて欲しくないのです。
私は、たぐい稀な相場師であった中江滋樹氏の税務顧問をしていた関係から、何人かの仕手筋とか相場師を知っています。
ふり返ってみますと、バブル経済の洗礼を受けて、現在でも健在なのはただ一人だけになりました(「月給一億円のサラリーマン」参照)。よほどの好運に恵まれないことには、賭場的な要素を多分に持っている株式市場で、したたかに生き残っていくのは難しいことでしょうね。相場師といえば決してカタギの仕事とは言えないでしょうが、私にとって中江氏とかこの人物などは、別格の存在でした。二人とも、人間のスケールにおいて、とてつもなく大きなものを持っていたのです。ナントカ・ヒルズあたりでウロチョロしているチンケな連中とは、似て非なるものであると言えるでしょうか。
このところ、若い人達がデイ・トレーダーとか称して、日がな一日パソコンに向って株の売り買いを繰返し、丁半バクチのような取引にのめり込んでいるようです。若いときの大切な時間を、そのようなバクチに浪費するのはいかにももったいない気がしてなりません。勝っても負けても、経験が豊かになっていくことはないでしょうし、仕事を通じて社会に貢献する喜びを味わえないことから、人生がいびつなものに変っていき、次第に心が荒んでいくのではないかと思われます。
<付記>
堀江貴文氏が一般の予想よりも早く保釈されるや、再びマスコミのバカ騒ぎが始まりました。『ゲームとしての犯罪』である、ライブドア事件はいまだ十分な解明がなされているわけではなく、軽々しく興味本位に取り扱うべきではありません。
前代未聞の”詐欺”事件であることは、これまでしばしば具体的な根拠を示して述べてきたところですが、推定で2,000億円もの損害を被った多くの被害者が、カヤの外に置かれたままになっているのです。これから何回かにわたって、ライブドアの被害者に焦点を絞って、数字の上から考えていこうと思っています。
それにしても、第一回目の『ゲームとしての犯罪』においては、私の執筆の意図を敢えて伏せていたのですが、私の意図を察した堀江貴文氏の”特殊関係者”がいたらしく、コメント欄で再び悪口雑言が激しくなってきました。一年前盛んに行なわれた私に対するバッシングが再び続くことでしょう。
これからの記事は、昨年『ホリエモンの錬金術-17』で述べた、マネーローンダリングならぬシェア・ローンダリングのプロセスを、具体的に解明することになるはずです。
逮捕だけは堀江氏の”想定内”にはなかったでしょうが、上場廃止のシナリオは、ゲームの中にしっかりと組み込まれていたものと思われます。
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ここで一句。
(私は買い物が趣味、といっても高価な服装だとかブランド品には全く興味がありません。若い頃からスーパーで食料品を買うのが大好きで、店の中を歩いてまわるのが何よりの気分転換でした。新聞の折込チラシをチェックして一円でも安い店を歩き回る配偶者を横目に見ながら、ケチな配偶者が決して手を出さないような品物を選んで買ってきては、ひともんちゃくのある日々を送っています。松江近辺には、20近くのスーパーとか市場がありますが、私の頭の中には、どの店のどこに、どのような旬の野菜があり、とれたての魚があり、世界各地の珍味があるのか、全てインプットされています。買い物袋を両手に抱えて歩き回る我が日常は、“超”のつくスロー・ライフ。これぞ、街中における「晴耕雨読」と空いばり。)
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