冤罪を創る人々vol.93

2005年12月20日 第93号 発行部数:411部

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「冤罪を創る人々」-国家暴力の現場から-
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日本一の脱税事件で逮捕起訴された公認会計士の闘いの実録。
マルサと検察が行なった捏造の実態を明らかにする。
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山根治(やまね・おさむ)  昭和17年(1942年)7月 生まれ
株式会社フォレスト・コンサルタンツ 主任コンサルタント
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●「引かれ者の小唄」 ― 勾留の日々とその後
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「自弁品アラカルト -その2」より続く
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5.自弁品アラカルト

3)その3

刑務所内にある売店の品物の名称と価格は独房内に掲示されてお
り、被収容者が購入することができるものであった。勿論、売店ま
で行って自由に購入できる訳ではなく、その上数量とか購入金額な
どの制限がついていた。
購入するためには、まず購入希望の願箋を書かなければならない。
願箋はその都度「担当さん」と称する担当看守に願い出て、もらい
受けるのである。
願箋を書いて看守に手渡すと、三日から一週間位たってから品物
が房内に入ってくる。

購入品に関して最も想い出深いものは、ノートである。
ノートの房内所持は原則として一冊とされているが、必要とあら
ば三冊まで認められることになっている。当初は一冊であったもの
を、しばらくしてから、訴訟用ノートを別にするという理由で二冊
まで認められるようになった。その後、万葉集の書写を始めたため、
なんとかあと一冊認めさせようとしたものの、なかなか許可が出な
い。しかるべき理由が必要だと言われたために、房内で勉強するた
めと言ってみたり、学習をするためと言ってみたりしたが、追加の
一冊を認めようとしないのである。
官の言い分としては、受刑者には更生という観点から学習するこ
とに大義名分が認められるが、私のような未決囚にはいまだ更生を
考える段階ではないために、房内で学習することに大義名分は認め
られないというのである。
おかしな話しである。未決囚は刑が確定してはいないので、無罪
が推定されていることからすれば、むしろこのような制限を加える
こと自体が間違っているのではないか。
言葉でこのようなことを言えば、抗弁のかどで懲罰が待っている
ので、願箋にしたためて何回か処遇主任とか刑務所長に対して要望
を試みた。何回却下されても、言い回しを少しずつ変えては繰り返
し要求したのである。
一ト月程スッタモンダやっていたであろうか、とうとう追加の一
冊を認めさせることに成功した。私のねばり勝ちであり、官の根負
けである。

思うに私には、理不尽なこととか、納得できないことが生じた場
合には放っておくことができず、なんとかして非理を解消しようと
する習性があるようだ。
良く言えば根気強い、あるいはねばり強いということであり、悪
く言えばネチネチと執念深いということであろうか。
このようにして、ノートの房内所持は3冊まで許可されることに
なった。雑記、訴訟用、学習用(書写用)の3冊である。ノートは、
コクヨのCampusノート(A4、普通横罫7mm×30行、
50枚)であり、一冊185円であった。
この3冊のノート所持については、結構頭を使うことになった。
雑記用には日用雑記を、訴訟用には裁判関連を、学習用には勉強関
連を書くように指示され、それぞれの目的以外に使用することを禁
じられた。たまたま訴訟用ノートに古典の書写をしたことがあった
が、ノート検査によって指摘され厳しく叱責された。3冊の所持許
可を取り消すというのである。

学習用ノートは専ら古典の書写と学習に用いた。万葉集20巻、
出雲国風土記をはじめとする5つの風土記をノートの一行おきに書
き写し、その都度、主に岩波の古語辞典と学研の漢和大辞典をめくっ
ては意味をたどり、解釈を吟味した。
学習用ノートについては、気分が乗ると2日程で一冊を書き終え
ることもあった。このためノートを補充することに神経を使ったの
である。
注文しても一週間もノートが入房しないことがあるため、学習を
途切れさせないように、ノートの書き込み状況を予め推測しながら
ノートの注文をすることにした。房内に予備のノートがストックで
きればこのようなことまで考えなくともよいのであるが、房内所持
は3冊と決められているため、新しく一冊のノートが入ってくれば、
それまで使っていたノートのうちから一冊だけ領置被収容者の金品
を監獄法に基づき、施設において強制的に保管すること。要するに
房内から引き上がること)しなければならないのである。

今にして思えば、このように制約された中での学習は私に思いが
けないプラスの効果を与えたようである。

(続きはWebサイトにて)
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●山根治blog (※山根治が日々考えること)
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「江戸時代の会計士 -14」より続く
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・ 江戸時代の会計士 -15

領民の代表達は、それぞれ自分達の村に帰って村民一同を集めて、
勘略奉行恩田木工からの提案について報告します。村民一同が喜ん
だのは言うまでもありません。

“あの足軽共の在方(ざいかた)へ出(いで)て荒びるには困り果て
たるに、向後(きょうご)一人も出すまじくとの仰せなれば、これ
ばかりにても有難きことなるに、以後諸役までも御免との事なれば、
向後倍金、二年分づつ御年貢差上げ候ても苦しからず候。早々御請
(うけ)申し上げ、殿様、木工様、御安気(ごあんき)遊ばされ候
様になし下され候へ。”
(あの足軽連中が村方にやってきてはやりたい放題をするのに困り果
てていたところを、今後は一人も足軽を出向わせないとの仰せだ。
このことだけでも有難いことであるのに、その上今後労役奉仕まで
も免除するとおっしゃるのであるから、今後は二倍、一年に二年分
の年貢を納めてもいいくらいのものだ。早いところご承諾申し上げ
て、殿様にも木工様にも御安心していただくように取り計って下さ
い。)

更には、役人達に対する不平不満があれば密書にして書いて出す
ようにというのですから、

“今までの意趣晴しはこの時ぞ。有難き事なり。誠に闇の夜に月の出
でたる心地、胸の曇りも晴れて、これより行末(ゆくすえ)安楽に
なるべしと、悦び勇まぬ者こそなかりけれ。”
(これまでのうっぷんを晴すのはこの時だ、有難いことだ、誠に闇夜
に月が出てきた心境だ、胸につかえていたわだかまりも消えて、こ
れから先は安楽な暮しができるというものだ、と皆で喜び合ったこ
とである。)

恩田木工は、後日改めて領民たちとの話し合いの場を持ち、領民
たちに宿題として申し向けていた3つの無心のうちの最後のもの、
つまり先納・先々納の年貢を帳消しにした上で、更に当年分の年貢
を月割にして納めることを領民たちが心から承諾したのを確認しま
す。
同時に、役人たちの悪事をしたためた封書を受け取り、

“これは手前が見るものにあらず。御前へ御覧に入るるなり”
(この封書は拙者が見るものではない。殿様に御覧いただくものであ
る。)

と領民たちに申し向けるのでした。

恩田木工はすぐさま殿様に報告いたします。

“御悦び遊ばさるべく候。御勝手十分に相直り申すべく候。その訳は、
御借用金の分は残らず横に寝て仕廻申し候へば、無借金の上、当月
より十万石まるく納まり申し候。一粒も紛失御座なく候故、御勝手
十分に相調(あいととの)ひ申し候。その上、一人も御上を御恨み
申す者御座なく候。却(かえ)って有難がり候て、「二年分なりと
も上納仕るべし」と申し候故、当月より滞(とどこお)りなく御年
貢上納仕り候筈に御座候。これみな御前の御仁心深き故の御高徳に
て御座候。”
(どうかお喜び下さい。藩の財政は十分に立ち直りますでしょう。そ
の理由を申し上げますと、- 御借上げのお金については、返済を
棚上げにいたしましたので、無借金と同じことになります。無借金
になった上に、今月より十万石まるまる年貢の納入がなされます。
一粒の米といえども紛失することはございませんので、財政状態が
健全になるのでございます。その上誰一人、殿様を恨んだりする者
もございません。かえって感謝するあまり、「一年に今までの二年
分の年貢でも納めましょう」と言ってくるほどですので、今月から
年貢の上納は滞ることなくなされるはずです。これらはみな、殿様
の慈しみ深い御心にもとづく御高徳の賜物でございます。)

殿様は木工の報告を受けてことの外満足し、

“これわが徳に非(あら)ず。皆其方が働き、広大の勲功、金石にも
銘すべき忠勤なり。”
(これは自分の徳によるものではない。皆そなたの尽力によるもの。
またとない勲功であり、碑文にでも残すべき忠勤である。)

と木工を心から賞賛するのでした。

木工は殿様の過分なおほめの言葉に感謝の意を表し、領民がした
ためた封書を差し出し、

“これは百姓共が相認(したた)め候ものにて御座候。御覧遊ばさる
べし。”
(これは領民たちが書き記したものでございます。どうかご覧下さい
ませ。)

と申し上げ、御前から退出します。

「日暮硯」の作者は、恩田木工に対しひとかたならぬ思い入れを
しています。それだけに、木工の人柄と施策を、できるだけ多くの
人に伝えようと懸命です。全体が平易で簡潔な文章で貫かれている
のは、その表われでしょう。
それに加えて、今回出てきたような言い回し、即ち「闇の夜に月
の出でたる心地」とか、あるいは「横に寝て仕廻」といったように、
印象的で分かり易い表現がその他にも随所に見受けられるのは、よ
り多くの人に面白く読んでもらいたいとする作者の工夫がうかがえ
ます。
江戸時代から300年以上にわたって、さまざまな立場の人に読
み継がれてきたのも、故なしとはしないでしょう。

―― ―― ―― ―― ――

ここで一句。

“飛びそこねチョット照れてる猫の老い” -藤井寺、加藤庸子。
(毎日新聞:平成17年10月26日号より)

(このところの日本の政界、なんとなく殺伐としていますね。政治家
はえたいの知れない何かに追われ、心のゆとりをどこかに忘れてい
るようです。)

 

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