冤罪を創る人々vol.92

2005年12月13日 第92号 発行部数:411部

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「冤罪を創る人々」-国家暴力の現場から-
http://consul.mz-style.com/catid/11

日本一の脱税事件で逮捕起訴された公認会計士の闘いの実録。
マルサと検察が行なった捏造の実態を明らかにする。
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山根治(やまね・おさむ)  昭和17年(1942年)7月 生まれ
株式会社フォレスト・コンサルタンツ 主任コンサルタント
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●「引かれ者の小唄」 ― 勾留の日々とその後
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「自弁品アラカルト -その1」より続く
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5.自弁品アラカルト

2)その2

「被勾留者所内生活の心得」の35ページから37ページにかけ
て、拘置所内で使用できる衣類と寝具が列挙されていた。
驚いたのは、下着類の中に、ズロース、サルマタ、越中ふんどし
とか腰巻(女)が書き出されていることであった。第二次大戦中と
か戦後しばらくの間であるならばいざ知らず、奇跡的な高度経済成
長を遂げ、世界の先進国の仲間入りを果した平成の日本にあって、
このような古典的とも言える下着の名前が現実に目の前に現れてき
たのである。
とうの昔にこのような下着風俗はすたれ、ズロースとか腰巻のよ
うな言葉は文学作品の中にのみ生きているもので、現実生活におい
ては死語になっているものとばかり思っていたが、どっこい、塀の
中でしっかりと生きていたのである。
最近になって分かったことであるが、現在でも越中ふんどしが市
販されているらしい。一風変ったユニークな国語辞典として知られ
ている「新明解国語辞典」第四版によれば、越中ふんどしのことを
”デパートでは「クラシック・パンツ」という”のだそうである。

(別表3)衣類と寝具
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私が松江地検に逮捕されたのは、平成8年1月26日のことであっ
た。53歳、今より10歳も若かった。
逮捕など全く想定していなかったので、そのショックたるやたい
へんなものであった。そのためであろうか厳寒の最中だというのに、
火の気の全くない独房に放り込まれても当初はさほど寒さを感じな
かった。ショックが寒さを凌駕したのである。
ところが一日経ちパニック状態がおさまってみると、寒さが急に
気になってきた。持ち込んだ毛皮のコートを着ていても寒さがおさ
まらない。

逮捕3日目は日曜日であった。午後4時頃(拘置所内では時計の
所持ができないので時間は推定するしかなかった)、中村寿夫弁護
士が面会に来てくれた。接見禁止となっていたため家族との面会は
できず、面会できるのは弁護人だけだったのである。
寒くて仕方ないので防寒衣類を一式差入れるように、家族への伝
言を依頼。とくに下着については冬山登山用のものを注文した。

翌月曜日に差入れがあった。しかし、担当看守から私に差入れの
通知がなされたのは、一日経った火曜日の午前10時半ごろであっ
た。担当看守に直ちに部屋に入れて欲しい旨申し向けたところ、な
んと次のような言葉が返ってきた。

「願箋を書いて願い出るように。一週間はかかるんじゃないかな。」

看守のノーテンキな言葉を聞いて、逮捕勾留という一連の理不尽
な出来事に苛ついていた私はキレてしまった。勝手に身柄を拘束し、
鍵のかかった火の気のない部屋に放り込んでおいて、一体私をどう
しようというのか。小さいときから私は虚弱体質で気管支が弱く、
しかも、このときは風邪にかかっていたのである。
このままの状況におかれると、風邪が悪化し肺炎になったり、あ
るいはその他の病気を誘発しかねない。こんなところで体調を崩し
て廃人になったり、のたれ死にさせられたりしたらたまったもので
はない。

看守を叱りつけたり、あるいは口頭で文句を言ったりすると、規
則によって懲罰が待っている。このため、不服申立をすることにし
た。

(続きはWebサイトにて)
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●山根治blog (※山根治が日々考えること)
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「江戸時代の会計士 -13」より続く
http://consul.mz-style.com/item/446

・ 江戸時代の会計士 -14

恩田木工は、3つ目の無心を領民に話しかけます。無心の最後の
ものです。

“「御用金差上げ候者共へは、これまた御返済なされたきものなれど
も、皆々知りたる通り、元来なきものなれば、只今(ただいま)返
済ならぬなり。又、かく言ふは如何(いかが)はしけれども、人々
の身代(しんだい)、只今相応にても、不仕合(ふしあわせ)なれ
ば、子孫に至り貧になるべきも知れぬものなり。依って、万一左様
の節は、利足を加えて遣はしたきものなれども、それはとてもなら
ぬ故、元金(もときん)にて子孫へ下され候様に致すべし候間、只
今なければとて身代潰(つぶれ)るといふ程の事もこれあるまじく
候間、子孫の為、元金にて殿様へ預けて置いたと思ふてくれよ。こ
れまた皆への無心なり。」“

(御用金を差し出している者へは、これまた殿様としてはご返済なさ
れたいことやまやまではあるが、皆の知っての通り、元々手許に資
金がないのであるから、今すぐ返済することはできない。また、こ
のように言うのはどうかとは思うが、人間の暮し向きは今は良くと
も、めぐり合わせが悪ければ孫子の代になって貧乏になるかも知れ
ない。よって、万一そのようになったときには、利息を加えて返し
たいとは思うものの、それはとてもできないことである。しかし、
せめて元金だけでも子孫に返すようにしたいと考えている。今すぐ
なければ暮らし向きが駄目になってしまう程のこともないと思われ
るので、子孫の為に、元金を殿様に預けて置いたと思ってはくれな
いか。これまた皆へのたってのお願いである。)

御用金は献金とは異なり、本来は利息をつけて返済する趣旨のも
ので、いわば強制的な公債というべきものでした。ただ現実にはこ
の返済は反故にされることが多かったのです。
このような御用金について、恩田木工は、ズルズルなしくずしに
召し上げてしまうことはしないで、領民との間に一つの約束をする
のでした。
それは、当面の間据え置きにして、御用金を出した領民の子孫が
暮らしに困るようなことになったときに、元金を返すようにしよう
というものです。
領民としては、もともと返済されることは期待していませんでし
たので、この第三の無心については否も応もなくただちに受け入れ
ます。

“有難く存じ奉り候。御上の御用に差上候金子(きんす)の事なれば、
一向御貰(おもら)ひ申す所存御座なく候ところに、子孫に至り難
儀の節は下さるべしとの御事に御座候へば、この上もなき御慈悲、
生々世々(しょうじょうせぜ)有難き御厚恩にて御座候。”

(ありがたいことございます。殿様の御用のために差し出したお金の
ことでございますので、返していただく考えはございませんでした
ところを、子孫が暮し向きに困った時には返して下さるとのことで
ございますので、この上もない御計らいで、孫子の代まで感謝する
ものでございます。)

領民たちはこのように申し述べ、“感涙を流して御礼申し上げ”
たのでした。
領民に対して3つの無心を言い終わった恩田木工は、

“何(いづ)れも手前が申すこと得心してくれて満足せり。さて又重
ねて出る節は、只今までの悪(あ)しかりし事、遠慮なしに護符
(ごふ。寄りふだ、転じて密書のこと)に相認(あいしたた)め、
よく封じて差し出すべし。と申され候へば、「畏り奉り候」と申し
て、皆々悦(よろこ)び勇んで帰村仕り候事。”

(「いずれの者も拙者が話すことを納得してくれて満足している。さ
て又、次にここにやってくる時は、今までに役人たちから悪いしう
ちを受けたことがあったならば、遠慮することなく封書にしたため
て差し出すように」と木工殿がお話になったところ、「かしこまり
ました」と申して、皆々喜び勇んで帰村したことであった。)

このように恩田木工が、領民に感謝の気持を述べるや、列席の誰
もが想定していなかった爆弾発言が彼の口から飛び出します。これ
まで役人達から受けた悪事の数々を思いっきり書き上げて、封をし
た上で差し出すようにというのですから領民達は大喜びです。
ところが役人達にしたらたまったものではありません。これまで
ひそかにやってきたことが、白日のもとに晒されることになるわけ
で、パニックに陥ってしまいます。

(続きはWebサイトにて)
http://consul.mz-style.com/item/450

 

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