121 前科者としての元公認会計士

***三.前科者としての元公認会計士

一、 有罪が確定した別件については、今でも裁判所の判断が間違っており、冤罪であると確信している。しかし、懲役1年6ヶ月、執行猶予3年の刑が確定したのは厳然たる事実である。

執行猶予が解ける3年後の平成18年10月4日までは、私は前科者であり、公認会計士と税理士の登録ができない。従って、私の現在の肩書を敢えて付すとすれば、前科者であり、元公認会計士である。

二、 朝風呂に入って、歯磨きをしながら漱石の「草枕」を気取ってみた。

「前科が付いて考えた。これから資格は使えない。三年間は使えない。仕事はどうにか回ってる。身体も当分いけそうだ。世の中なんとかなるだろう。」

三、 十年間、私の50代の大半は蛇に睨まれた蛙であった。思い通りの行動が制約され、暗闇からマルサと検察の魔の手が私を繰った。
私は魔の手に翻弄されながらも、ひたすら潰されないことだけを念じて生き延びてきた。
その結果、この10年で私は多くのものを失った。最後に失ったものは、公認会計士という資格であり、失った中でも最大のものであった。
反面、得たものも多くあった。その最大のものは、最悪の状況にあった私を見捨てることなく、しっかりと支えて下さった多くの人達の善意と信頼であり、それがしっかりと再確認できたことであった。多くの人々によって私が生かされていることを実感することができたことは、最大の収穫であった。

四、 この10年をできるだけ客観的にふりかえることを念頭において執筆してきた本稿は、ほどなく終結する。
一日平均5時間、3ヶ月かかったこの作業は、私に予期せぬ副産物をもたらしたようである。
客観的といっても、私は当事者本人であるから、言葉の真の意味において客観的にはなりえない。しかし、できるだけ客観的に自らを見つめ直すことはできると考えて、膨大な資料を探索し、当時の状況を再構築し、文章に紡いできたのである。

五、 森鴎外の「寒山拾得」の中に、頭痛に悩まされている閭丘胤(りょきゅういん)という名の官吏の話がある。
一人の托鉢僧が、「四大の身を悩ます病は幻でございます。只清浄な水が此受糧器に一ぱいあれば宜しい。呪(まじなひ)で直して進ぜます。」と申し向けて、頭痛をなおしてしまう話だ。
以下、「寒山拾得」から引用する。三島由紀夫が名文として絶賛している件(くだり)である。 ―

 閭は少女を呼んで、汲立の水を鉢に入れて来いと命じた。水が来た。僧はそれを受け取って、胸に捧げて、ぢっと閭を見詰めた。清浄な水でも好ければ、不潔な水でも好い、湯でも茶でも好いのである。不潔な水でなかったのは、閭がためには勿怪(もっけ)の幸であった。暫く見詰めてゐるうちに、閭は覚えず精神を僧の捧げてゐる水に集注した。
此時僧は托鉢の水を口に銜(ふく)んで、突然ふっと閭の頭に吹き懸けた。
閭はびっくりして、背中に冷汗がでた。
「お頭痛は」と僧が問うた。
「あ。癒りました。」実際閭はこれまで頭痛がする、頭痛がすると気にしてゐて、どうしても癒らせずにゐた頭痛を、坊主の水に気を取られて、取り逃がしてしまったのである。
僧は徐(しづ)かに鉢に残った水を床に傾けた。そして「そんならこれでお暇をいたします」と云うや否や、くるりと閭に背中を向けて、戸口の方へ歩き出した。

六、 閭丘胤の頭痛が、托鉢僧の吹きかけた水によって快癒したように、私の中にも思わぬ変化が起きていた。
執筆にかかるまでは、マルサと検察に対する恨みと憎しみの感情が私を大きく支配しており、抜きがたいものであった。彼らに対する憎悪の気持ちが、執筆をかりたてた要因の一つであることは確かである。
しかし、執筆を終えようとしている今、ふっと自らを顧みると、それらの感情がほとんど消滅していることに気がついた。完全に払拭されることはないであろうが、少なくとも気にならなくなったのである。
閭丘胤の頭痛が幻と共に消え去っていったように、私の中にあった憎悪の幻が消え去った。

七、 私の10年間を、恥部を含めて洗いざらい掃き出した結果、心の奥底にしっかりと根付いていたマルサと検察に対する恨みと憎しみの思いも、それにつれて排泄され、浄化されたようである。
私の中で精神のカタルシスが起ったのであろう。

八、 五年前の平成11年6月に、同年5月13日に言い渡しを受けた「本件無罪、別件有罪」の第一審判決に関して、私は、関係者800人余りに向けて文書を作成し、送付したことはすでに記述したところである。
その末尾に、私は、

「以上により、今回の判決に関して、私は一部不満が残るものの概ね満足すべきものと考えております。100%ではないものの、限りなく100%に近い勝利であったと考えています。」

と述べている。
“100%近い勝利”であると宣言したものの、正直言って、この時の私はかなり背伸びをしており、必ずしも真意ではなかった。マルサと検察に負けてはならないという気持から、100%近い勝利であったと自分自身に言いきかせていたのである。

九、 現時点で改めて自問自答を試みた。

「100%近い勝利であったか」

答えは否である。何故か。
勝利というからには、敗北があるはずだ。勝者があれば、必ず敗者がある。
マルサと検察官は敗北したのであろうか。彼らは敗者であろうか。
否である。彼らは敗北してはいないし、従って敗者でもない。それぞれの組織は何ら変ることなく存続し、犯罪行為を行なったマルサも検察官も何ごともなかったかのように口を噤んで日常業務を行なっている。
敗者が存在しない以上、勝者もありえない。私はマルサと検察官とに勝ったのではない。単に負けなかっただけであり、潰されなかっただけのことである。
マルサと検察官は敗北した訳でも、敗者という烙印を押された訳でもない。
自ら冤罪を創り上げるという犯罪行為を刑事法廷の場で露呈し、公表しただけのことだ。

一〇、「100%近い勝利であったか」という問い自体が、必ずしも適切な問いかけではないことが判明した以上、自問を次のように変えてみることにした。

「100%近い満足度であったか。」

答えは諾である。
現時点で言えば、100%の満足度、あるいは100%を超える満足度であると言えるかもしれない。
10年間の経験は苦汁に満ちたものであった半面、求めても得ることのできない貴重なものでもあった。その結果、精神のカタルシスを体感する幸運に恵まれた。その上に、更なる副産物が私にもたらされた。これについては項を改めて述べることとする。

一一、私は、マルサと検察官の非行を事実に即して記述した。その非行は、刑事法廷を中心とした公の場で、彼ら自身が公然と行なった行為である。私はできるだけの客観性を維持しながら、淡々と記述を進めた。
私の役割は、彼らの非行の事実を摘示するのにとどまり、それ以上には及ばない。刑事法廷に引きずり出して断罪する権限などないからだ。
仮に、そのような権限があったとしても、現在の私はしないであろうし、しようと思えばできる民事法廷での損害賠償請求もしないであろう。
この人達との関わりをこれ以上持ち続けることは、私にとってマイナス以外の何ものでもないからだ。
私は彼らの非行を許すとか許さないとか言うことはできない。私は聖職者でもなければ、まして神でも仏でもない。彼らの非行を宥恕する立場にないからである。私の任ではないのである。
非行であったか否かの判断を含めて、彼らが実行した犯罪行為は、彼ら自らの手で跡始末をしなければならない。
彼らは、非行を隠匿したままで他人を騙し通すことができたとしても、自らの心を騙し通すことはできない。精神のカタルシスは、自分自身でしかできないものであり、この浄化作業を経ない限り、彼らの心の奥底に、自らが行った非行の残渣がオリとなって残り続けることであろう。

 

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