亀井静香氏は守旧派か? -1

平成17年8月17日は、私にとって忘れることのできない記念すべき日になりました。

中海干拓のために設けられた森山堤防を50メートルにわたって開削する、-画期的ともいえる方針転換を島根県知事が決断し、農林水産省に要請することを正式に表明したのです。20年以上にわたって、宍道湖と中海の淡水化・干拓事業の中止を求めて住民運動に携ってきた一人として、私たちの中海が元の姿に復帰する筋道がつけられたことは何ものにもかえがたい喜びでした。

島根と鳥取の両県にまたがる中海の干拓事業がスタートしたのは、今から42年前の昭和38年4月のことです。
この大規模な干拓事業は、第二次大戦後の食糧難を背景に、米の増産を大義名分として計画されたものです。その後ほどなくして始った減反政策(昭和45年)によって、この干拓事業の目的が稲作から畑作の用地造成へと転換され、抜本的な見直しがなされないまま、工事だけは着々と進められてきました。
この干拓事業と表裏一体の事業として、宍道湖と中海を淡水化する事業がありました。この2つの湖は、塩分が混じった湖(これを汽水湖といいます)で、塩分の入ったそのままの水では稲作には使えないために、外海からの塩分流入を遮断して、淡水湖にしようとしたのです。淡水化事業と言われてきたものです。
これら主たる目的を失った事業に対して、地元住民の間から疑問の声があがり、淡水化反対運動と干拓反対運動の大きなうねりへと発展していきました。これらの反対運動がスタートしたのは今から23年前の昭和57年のことでした。
その後、住民運動の高まりを背景に、まず淡水化事業が昭和63年に中止されました。私が反対運動に携ってから6年目のことです。
本来ペアの事業であった干拓事業もその時点で中止になるのが筋なのですが、何故か干拓事業だけは中断されることなく続けられてきたのです。

この巨大な税金のムダ使いの象徴ともいうべき干拓事業を中止させるために英断を下したのが、時の自民党政調会長であった亀井静香さんでした。平成12年8月のことです。干拓反対運動を共にしてきた仲間達と涙を流して喜び合ったことが昨日のように想い出されます。
中海は日本第5位の広さ(98平方km)をもつ湖で、汽水湖としては、北海道のサロマ湖に次いで日本第2位です。
亀井さんが中止の決断をされた干拓事業の対象は、この中海の北西部1,689haの湖面で、中海の17%強を占める広大な水域でした。
私の少年時代には、この海域は本庄の海と呼ばれており、エビ、カキ、赤貝をはじめとした豊かな水産資源の宝庫でした。本庄の海はまた、古代出雲文化を育んだ歴史的景観であり、地域住民の心を癒すよりどころでもありました。
枕木山の上から、真向かいに出雲富士と称される大山を仰ぎ、真下に弁慶島の浮ぶ本庄の海を見下ろす景観は、天下の絶景として古来多くの文人墨客が絶賛の言葉を惜しまなかったパノラマです。
それが干拓工事のための堤防によって外海と遮断された閉鎖海域となったことから、水産資源は壊滅的な打撃を受け、歴史的景観が消滅寸前の状態で、今日に至っていたのです。
このたびようやく島根県知事が重い腰をあげ、干拓堤防の一部を切り開き、私たち地域住民の永年の悲願であった昔の豊かな海に復帰させ、歴史的景観を回復させる第一歩にしようというのですから、この8月17日という日は、私たち住民運動を続けてきた者にとっては、まさにエポック・メイキングな日であったのです。

奇しくもこの同じ日に、亀井静香さんは自民党を離党し、綿貫民輔さんを代表に立てて、「国民新党」を立ち上げました。
私は政治に対する関心は人一倍持っていながらも、典型的な無党派層に属する一人です。
単なる口舌の徒が多い政治家に対して、私は、政治家として立派な人物であるかどうかを判定するために、まず約束と信義を大切にする誠実な人物であるかどうかを見すえた上で、数字に裏打ちされた政治家としての実績を冷徹に見つめることにしています。

郵政民営化をふりまわして、まるで財政改革の第一人者であるかのように振舞っている小泉純一郎さんは、政権を担ってきたこの4年4ヶ月の間に一体何をやってきたというのでしょうか。
財政改革の点で言えば、この4年余りの間に、国の借金である国債などを538兆円(平成13年3月末)から781兆円(同17年3月末)へと、実に243兆円も増やしたことは、厳然たる事実です(※財務省「国債及び借入金並びに政府保証債務現在高」より)。このわずかな期間に、なんと45%も激増させているのです。これだけ多くの借金を自らの政権において増やし、財政改革に逆行することを平気でしていながら、口先だけは、財政改革、あるいはその象徴としての郵政民営化をヒステリックに叫んでいる小泉純一郎という人物は一体何者なのでしょうか。矛盾を矛盾と感じない破廉恥な無神経さにはあきれかえるばかりです。
彼が総理大臣に就任する前に公約として掲げたのが、年間の国債の発行額を30兆円以内にするというものでした。
ところが就任早々30兆円を超えてしまったことを野党に追及された小泉さんは、国会の場で「そんなことなんか、たいしたことではない!」と胸を張って居直り、その後は臆面もなく、セキを切ったようにどんどん国の借金を増やしていったような人物です。公約(政治家として国民に約束したことです)を破ったからといって何が悪いのかと、悪びれることなく言い放ち、信義を踏みにじっているのですから、もはや論評する言葉もありません。
この人はまた、郵政民営化以外の問題に関しても、国会の場で堂々と数々の詭弁を弄し、論点を巧みにすりかえては国民を騙してきました。
イラク戦争前、イラクに大量破壊兵器が本当にあるのかとの質問に対して、
「フセインが見つからないからといって、フセインが存在しないと言えるのか、大量破壊兵器が見つからないからといって、イラクに大量破壊兵器が存在しないと言えるのか。したがってイラクに大量破壊兵器がないとは言えないだろう」
と、およそ支離滅裂な論理を展開し、論点をすりかえて得意になっていたのは記憶に新しいところです。町なかの床屋論議ならばともかく、一国の首相の公式の場における発言なのですから、強烈な違和感を覚えたのは私だけではないはずです。ソクラテスと対峙した古代ギリシャの煽動政治家も、この人ほどオソマツではありませんでした。
思いつめたように眼をすえ、顔を引きつらせて、多分にテレビを意識したワンフレーズ・ポリティクスをおし進めている小泉純一郎さんは、一体何を考え、私たちの日本をどのようにしようというのでしょうか。考えただけでもゾッとしてしまいます。

それに対して亀井静香さんはどうでしょうか。改革に反対する守旧派、あるいは抵抗勢力の頭目というレッテルが貼られているようですが、果して本当でしょうか。
亀井さんは、政調会長として、平成12年8月無駄な公共事業をカットする方針を固め、平成13年度予算で223件の無駄な公共工事、金額にして2兆8000億円もの事業を中止するのに中核的な役割を果たしています。この中に、中海干拓事業が含まれていたのです。
このことに限って言えば、亀井さんは守旧派どころではありません。まさに守旧派に真正面から立ち向かった改革の旗手そのものです。国家百年の大計を見すえた勇気ある政治家の典型と言ってもいいでしょう。
長野県の田中康夫知事が、「日本の背骨に位置し、あまたの水源を擁する長野県において出来得る限り、コンクリートのダムを造るべきではない」とする“脱ダム宣言”を発したのは、平成13年2月20日のことでした。亀井さんの勇気ある決断に遅れること半年、田中知事をして、亀井さんこそ、“元祖脱ダム政治家”であると言わしめているほどです。田中知事は、“旧来型の公共事業利権を断ち切り、新しい公共事業の在り方を模索した点を、むしろ積極的に評価すべきでないか”として、亀井さんの考え方に敬服するとまで言っています。
“亀井静香氏の哲学に密かに敬服”GENDAI NET for WOMAN 2004年10月7日より)

政治家たる者は結果責任を問われる存在であり、その評価は計数的な裏付けをもってすべしと考えている私も田中さんの意見に全く同感です。

―― ―― ―― ―― ――

ここで一句。

“はじめから独裁だったわけじゃない” -相模原、水野タケシ。

 

(毎日新聞:平成17年8月12日号より)

(このごろの小泉さん、なんだか顔つきまでヒトラーに似てきましたね。当時のドイツはナチスの宣伝大臣ゲッペルスの巧みな演出によって、ドイツ国民の大多数が熱狂的にヒトラーを支持しており、国を挙げて無謀な戦争とユダヤ人大虐殺(ジェノサイド)へと突き進んでいきました。あるいはまた、ソクラテスを死に追いやった古代ギリシャのデマゴーグ(煽動政治家)かも知れませんね。)

 

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