081 謝辞

*(キ) 「謝辞」

1. 中島は、40日の取調べの中で、私に三回、自らの机に両手をついて私に頭を下げた。頭を下げ、謝辞を表明したのである。

2. 一回目は、平成8年2月1日のことであった。
同年1月31日の午後の取調べの折、中島は例によってピント外れの難クセをつけ、私をいじめ始めた。

中島:「山根は、取引の両方から利益を得ているんじゃないか。」
山根:「そうですよ。何か問題でもあるんですか。」
中島:「双方代理のようなことをして、会計士の職業倫理に反しないのか。」
山根:「私は双方の仲介をしただけで、双方代理なんかではない。何を言っているんですか。あなたに会計士の職業倫理なんて言われる筋合いはない。」
中島:「それにしても、山根はヘンな会計士だな。会計士の分際でそんなことしていいのかな。ま、会計士フゼイはそんなことしても平気なんだろうな。」

3. この時は、取調べの初期の段階で、中島という人物がよく把握できていなかったので、とりあえず何も言わずに引き下がった。
夕食のために独房に帰って改めて考えたところ、次第に腹が立ってきた。放っておくわけにはいかない。
夜の取調べの時、私は開口一番、中島に向って強く抗議し、訂正を求めた。

「昼の取調べの時、あなたは私に対して“会計士フゼイ”だとか“会計士のブンザイ”とか言われたんですが、これは、私個人を侮辱するだけでなく、公認会計士全体を侮辱するものだ。訂正した上で、謝って欲しい。」

私の抗議に対して、中島はそんなこと言った覚えはないと言ってつっぱり、謝ろうとはしなかった。なんとも強情な男である。

4. 翌2月1日の取調べの冒頭、中島は頭を下げて、次のように言った。

「“会計士フゼイ”など自分としては言った覚えがなかったが、念のためここにいる渡壁書記官にきいてみたところ、一度だけ言ったようだ。誠に申し訳なかった。」

5. 二回目は、同年2月21日のことであった。
中島はこの日の取調べの始めに、いきなり次のように切り出してきた。

中島:「どうも山根の言っていることは嘘ではないようだな。」
山根:「当然のことですが、改まって何故そんなことを言うんですか。」
中島:「いや今日の午前中に、山根が宅下げに出したノートを見せてもらったんだよ。オレに言っていることと同じことが書いてあったんでね。」
山根:「何ですって。あなたにそんなことをする権限があるんですか。私が問題点をこと細かく記して弁護人に渡そうとしたノートを、勝手にのぞき見するんですか。それでは騙し討ちと同じじゃないか。
あなたは私と信頼関係を築いて話し合いをしたいと、申し出たばかりじゃないですか。そんな騙し討ちをしておいて信頼関係を口にするなんて、白々しいにも程がある。」
中島:「たしかに、無断で山根のノートを見たのは申し訳なかった。おわびする。」

これが二回目の低頭であり、叩頭であった。

6. 平成8年年3月6日、この日は、中島の取調べの最終日であった。中島は、姿勢を正し、改まった口調で次のように言った。

「40日もの間びっしりとつき合い、根を詰めて捜査にあたったのは、山根さん(この時はさん付であった)を含めて今までに3回程しかない。以前の2つも、私にとっては忘れることのできない思い出となっているが、山根さんについても同様だろう。
お互いいろいろ言い合ったが、山根さんは一生懸命に思い出し、積極的に取調べに応じてくれた。感謝している。これで会うことはないと思うが、どうか元気でお過ごし下さい。」

この時、頭を下げたのが三回目であり、最後のものであった。私も丁重な礼をもって中島に返した。

7. たしかに、中島が発する意地悪な質問に対して、私は逃げることなく正面から向っていった。
私が考えてもみなかったような観点から、根掘り葉掘り意地悪な質問をしてくるので、当初は勝手にしろとばかりに放っておいた。しかし、いずれ法廷で同じような質問をされることになるとの中島の一言によって、方針を変更し、即答できない点は独房に帰ってじっくり考えてから答えることにしたのであった。
私の思考回路とは全く異なる方向から、思いがけない質問がとんでくるので、少なからずとまどったのは事実である。全体の整合性を考えながら、中島が求める回答を準備するのは大変なことであった。
このとき痛感したのは、私の場合、嘘でなく真実であったから耐えることができたということだ。40日間の尋問は想像以上に重いものであった。
仮に少しでも私の中に偽りが入っていたとしたならば、中島の厳しい追及をかわすことなど到底できなかったであろう。

8. 中島が作成した供述調書は、面妖な禅問答であると同時に、中島の挙足とりの尋問に対して、私が時に油汗を流しながら、必死になって思い出し考えぬいた回答がギッシリ詰まっている問答集でもあったのである。

9. 中島は私に都合3回頭を下げた。初めの2回は、私に謝ったものであり、その意味での謝辞の表明であり、3回目は、私に感謝の意を述べたものであり、その意味での謝辞の表明であった。

10.中島が深々と頭を下げ、被疑者たる私に謝意を述べたとき、私の涙腺は思わずゆるみ、中島に対する憎しみの情が昇華し、急激に薄らいでいくのを覚えた。
中島とすごした閉鎖空間での40日間は、私にとっても間違いなく生涯の想い出として残る貴重な日々であった。

 

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