022 抗議書の作成

****8)抗議書の作成

一、 マルサのガサ入れから三ヶ月が経過しようとしていた。

 私を始め、組合の人達は全て、いわれなき脱税の嫌疑については全面否認を通した。マルサが虚構のシナリオを捏造しているのであるから、当然のことである。

 私は、“事件”の核心を証明する二つの民事裁判の確定判決書をはじめ、多くの疎明資料を提出(そのほとんどは、ガサ入れ時に押収されたものだ)し、マルサに対して詳しく説明してきた。

 更に、マルサの要請にもとづき、長大な申述書を作成している最中であった。



二、 平成5年11月22日以来、マルサと私との接触は一時的に途絶えたものの、組合の人達に対しては、毎日のようにやってきては、虚偽の自白を執拗に迫っていた。

 捜索令状をとり、大がかりなガサ入れをした以上、なにがなんでも検察庁に告発する姿勢を崩していない。



三、 ハニックス工業の場合、脱税の告発が公表された直後に倒産した。社長は、国税に対する恨みの遺書を懐にして、東京国税局のロビーで、自らの心臓を切り裂いて自殺した。



四、 他人ごとではなかった。明日はわが身、私も同じような運命を辿ろうとしている。犯罪者の汚名を着せられ、ボロキレのように葬り去られてしまう。

 ハニックス工業社長の抗議の自殺について、東京国税局の当時の村上喜堂総務部長と横尾貞昭国税広報室長は、マスコミの取材に対して、共に、「誠にお気の毒ではあるが、だからといって法律は曲げられません。それに、社長はこちらに一度も抗議においでになったことはなく、こちらとしては真意が分からないんです。」と白々しいコメントを出している。



五、 抗議などなかったというような言い訳を封ずるためにも、文書による抗議を申し入れることにした。

 私は、拱手傍観していては、国家暴力によって、理不尽につぶされてしまうと判断し、攻勢に出ることにしたのである。



六、 抗議書を作成し、平成6年2月8日、私の事務所に担当収税官吏藤原孝行と同新本修司とを呼び、彼らに作成を約束していた申述書等と共に、手渡した。



七、 この日に、藤原孝行に手渡したのは、次の11点の資料であった。

+申述書(嫌疑事実の顛末) 54ページ

+申述書・資料説明 16ページ

+申述書・添付資料目録 4ページ

+申述書・添付資料(添付資料1から23。計30点)

+第二申述書(仮装隠蔽、通謀虚偽表示が無かったことの証明) 26ページ

+第三申述書(平成2年9月6日、佐原良夫が組合に出向いた件について) 10ページ

+抗議書(国税庁長官宛) 5ページ

+抗議書(広島国税局長宛) 6ページ

+告訴状(東京地検宛。『告訴事実の詳細』付)1通 8ページ

+告訴状(恐喝の事実を立証する準備書面) 23ページ

+告発状(広島地検宛) 1通

八、 同日、広島国税局長志田康雄(昭和20年生。東京大学法学部卒)に宛てた抗議書を、配達証明郵便で送付した。



九、 国税庁長官濱本英輔(昭和11年生。東京大学法学部卒)に宛てた抗議書は、郵送しても長官に届くまでに紙くずとして破棄されるおそれがあるので、しかるべき人に直接渡してもらうことにした。



一〇、私の念頭にまっ先に浮かんだのは、当時国会議員をしていた、畏友岩本久人氏であった。

 岩本氏は、私を襲ったマルサの犯罪的行為に義憤を抱き、快く引き受けてくれた。

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