057 論告求刑

*(ウ)論告求刑

一、 捏造による断罪が更にエスカレートするのは、立石英生が作成した論告要旨である。平成10年3月24日、第30回公判廷で検事立石英生は、論告求刑をなし、そのとき彼が作成した論告要旨は248ページにも及ぶ“力作”である。



二、 当時私は、この荒唐無稽な論告要旨を詳しく分析し、『論告要旨における問題点 ― その欺瞞と誤謬 ― 』と題する文書(16ページ)を作成し、弁護人に渡している。弁護側の最終弁論に資するためである。

 驚くことには、事実に明らかに反する記述で、事実に反することが直ちに証明可能なものが48もあり、立石の論理矛盾、自己矛盾と考えられるものが6つもあった。立石は、直ちに嘘と判ることを法廷の場で堂々と開陳し、自らの陳述が自家撞着しているのに気がついているのかいないのか判らないが、平気で述べているのである。虚構のストーリーを無理やり証明しようとするものであるから、自己矛盾等は当然の帰結であると思われるものの、法廷で平然と述べるに至ったのは通常人の理解を超えるところである。異能の人なのであろう。

 何故このような支離滅裂なシロモノが作成されるに至ったのか、その理由を憶測すると、私を直接調べた検事中島行博と同様に、検事立石英生も、経済社会と企業会計の実情にうとく、法人税法についてもほとんど理解が及んでいないことに起因するようである。

 企業会計と法人税法の基本を知らないからこそ、平気で大胆な“論理”を展開できたのであろう。裏で指南しているマルサの偽りの言い分を、十分に咀嚼しないまま、片っ端から安易にとりあげて、なんとか文章に仕立て上げた結果である。

 立石には悲劇であり、第三者には喜劇である。コメディアン検事立石英生の面目躍如といったところである。

 歪んだ法律知識(立石の言葉によれば、独自の見解)をベースに、企業会計と税法の論点に関してはマルサの繰り人形と化して、酒を浴びるほど飲んで、夢幻の中で書き上げたものと評する以外、言いようのないものである。



三、 立石英生は、論告では、「本件事案が悪質かつ重大な事犯であるとともに、被告人らの刑事責任は重いことは明らかであって、とりわけ本件各事件につき中心的役割を果たした被告人山根の犯情は極めて重大であると言わざるを得ない」と断罪し、私に対して「懲役3年の実刑」を求刑した。

 この時点では、私の無実を証明する多くの証拠が法廷に開示され、立石英生が通常の理解能力を有してさえいれば、このような断罪は到底なし得なかったであろう。

 まさに信じ難いことが、検事という国家権力の名のもとに行われたわけであり、ここで断罪すべきは私ではなく、数多くの証拠を捏造してまで私を冤罪に陥れようとした立石英生ではないか。権力を持った検事という名の無法者が、今の日本に少なくとも一人存在する訳であり、今も尚、立石英生が同様のことを日本のどこかでしているのではないかと考えると、肌寒い思いがする。



四、 私はさきに、マルサの大木洋を「切れ味の鋭い日本刀をやたら振りまわして遊んでいる訳のわからないガキ大将」と形容し、危険極まりない存在であると評した。

 この伝でいけば立石英生は、日本刀に加えて実弾をこめたピストルをもてあそび、時折面白半分にぶっ放しては喜んでいる国家公認の岡っ引きとでも言えようか。

 検察官立石英生は、捏造した事実をもとに勝手気ままに論断し、論理矛盾もおかまいなしに悪口雑言を浴びせて断罪する特権を国家から与えられているようだからである。

 しかも、本人はカルト信者よろしく、自らを正義の味方であると信じ込んでいる節がある。困ったことである。

 検察の中には、死に至らしめる国家公認の凶器を与えられた岡っ引きのカルト集団が存在すると言ったら言いすぎであろうか。

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