冤罪を創る人々vol.42

2004年12月28日 第42号 発行部数:306部

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 「冤罪を創る人々」-国家暴力の現場から-



    日本一の脱税事件で逮捕起訴された公認会計士の闘いの実録。

    マルサと検察が行なった捏造の実態を明らかにする。

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 山根治(やまね・おさむ)  昭和17年(1942年)7月 生まれ

 株式会社フォレスト・コンサルタンツ 主任コンサルタント

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【お知らせ】



  年内の発行は今回が最後となります。2005年は1月4日より

 発行いたします。皆様よいお年をお迎えください。





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●(第六章)権力としての検察 ― 暴力装置の実態



「2)証拠、その改竄の軌跡」より続く

http://www.mz-style.com/item/192



3) 証拠、その捏造の軌跡



一、 マルサが原案を創り、検察が仕上げをした脱税の虚構のシナリ

 オに沿って、多くの証拠が捏造された。以下、どのような細工によっ

 て証拠が捏造されたのか明らかにする。



二、 私は、松江刑務所拘置監で、検事中島行博の取調べを40日間

 にわたって受けたのであるが、中島の尋問の全ては、虚構のシナリ

 オに沿って、中島が私に問いかけ、私はそれらを単に否定すること

 の繰り返しであった。

  もともと脱税ではないことを脱税と極めつけてストーリーが創ら

 れているため、中島の尋問も誠に奇妙なものであった。

  後に、検事藤田義清や同立石英生がこの問答を称して、「山根が

 禅問答をしている」と難詰をしているが、私からすれば、訳の分ら

 ない禅問答をしかけているのは中島行博であって、いわれなき中傷

 をされていると言うほかはない。



三、 このような禅問答の中でも、私が中島の面前で思わず吹き出し

 てしまったことがあった。中島があまりにおかしなことを、しかも

 大真面目な顔をして問いかけてきたからである。



中島:「ちょっとこの資料を見てくれませんか。あんたが書いたもの

 だね。」



  ― 中島が私に示したのは、山根会計の事務用箋に太いエンピツで

 なぐり書きしたものであった。こんなナメクジのような字は他人が

 真似できるものではない。



山根:「ええ、そうですよ。」

中島:「これについてウチの者がこんな分析をしたんだが見てくれま

 せんか。」



  ― “「メモ」の分析結果は、次のとおりである”として何かグダ

 グダ記されている。何回読み直しても何のことかよく分からない。

 意味不明である。



山根:「目を通してみたんですが、よく分りませんね。」

中島:「お前が自分で書いたものが分らないというのか。」



  ― 「あんた」が急に「お前」にかわった。



山根:「いや、私のメモではなく、この分析とやらの内容が理解でき

 ないんです。」

中島:「とぼけるんじゃあない!」



  ― 急に声を張りあげた。熊のような大男が目の前で咆哮した。横

 にいる渡壁書記官が固まっている。

 

山根:「そんなこと言われても、クマったクマったと言うほかないじゃ

 ないですか。」



  ― 中島、とうとう本気で怒り出した。黒ブチの眼鏡の奥で、熊の

 目が三角になっている。



山根:「では、検事さんに申し上げますが、あなたはこの分析が理解

 できるんですか。何がどうだと分析されているんですか。」

中島:「オレには分らないからお前にきいているんだ。」



  ― 面白い威張り方をする男だ。さすが人間離れをしている。私が

 思わず吹き出してしまったのは、このときであった。

  私は心からおかしいと思って笑うとき、どうも肩を上下にゆする

 クセがあるようだ。笑って肩が上下に動くと、次にきまって涙が出

 てくる。このときもそうであった。

  涙をハンカチで拭いて、ひょっと前を見ると、それでなくとも大

 きい中島の顔が一層大きくなっていた。熊がふくらんでいたのであ

 る。



山根:「私が自分で書いたものなら、答えようもあるんですが、私の

 メモを誰がどのように考えて分析したか分らない、こんな訳の分ら

 ないものを示されたって答えようがありません。」

中島:「じゃ、お前のメモはどうなんだ。これはどういう意味なんだ。」

山根:「そう言われても、7年も前の私の単なるなぐり書きにすぎな

 いもので、何のことか自分でも分かりません。」

中島:「山根はいま自分で書いたものなら答えようがあると言ったば

 かりではないか。とぼけるんじゃあない!」



  ― 再度声が大きくなり、眼が三角になっている。中島は元来さほ

 ど複雑な人物ではないようである。



山根:「こんなことを言い合っていてもキリが無い。あなたにも分る

 ように説明してあげるので、少し頭を冷やして私の話を聞きなさい。」



  ― 中島は検事とはいえ、私よりもひとまわり以上も年下の若造で

 ある。しかも司法試験を5回目で合格したことを恥ずかしげもなく

 自慢にしているような男だ。

  私は中島の目を見すえて、次のように話した。





(続きはWebサイトにて)

http://www.mz-style.com/item/197





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●山根治blog (※山根治が日々考えること)

http://consul.mz-style.com/catid/21



「一億円を捨てた男」より続く

http://www.mz-style.com/item/130



・料亭「川崎」のおかみ



  中江滋樹氏はいくつかの会社を経営するかたわら、個人的にも相

 場を張り、しっかり稼いでいたようです。



  株の取引によって、一日に億単位の利益を出すことも珍しくなかっ

 たので、年間ではかなりの所得だったようです。現在と違ってその

 頃は、株の取引による利益は原則として非課税でしたから、確定申

 告をするにあたって私の方から株の利益について問い質すこともせ

 ず、中江氏からも部分的には話があるものの全体の話はありません

 でした。



  中江氏は政治家と付き合うようになってから、話し合いの場所と

 してよく料亭を使っていました。最もよく利用していたのは、赤坂

 の「川崎」という料亭でした。



  私も「川崎」で何回か中江氏と飯を食っています。私を料亭に呼

 び出すのは、何か特別の打ち合わせのためではなく、息抜きの気楽

 な話し合いのためであったようです。数年前までは、京都の山科の

 アパートの一室(これがスタート時点の会社の所在地でした)で、

 二人してインスタントラーメンをすすっていたのですから、東京の

 一流料亭を自由に使えるようになったことを私に自慢したかったの

 かもしれません。



  今でも東京の常宿として利用しているホテルが、この料亭から徒

 歩で10分位のところにありましたので、私はテクテクと歩いて行っ

 たものです。ここにやってくる客の大半は、運転手付の車か、ある

 いは黒塗りのハイヤーを使っていたでしょうから、汗ばみながら歩

 いてやってくる客は珍しかったのでしょうね。



  その上、背広は着古した既製服でしたし、靴は安物しか履いたこ

 とがありませんでしたので、「川崎」の下足番の人はさぞかし驚い

 たことでしょう。ネクタイに至っては一年間に一本あれば十分で、

 外見は絵にかいたようなダサイ田舎者だったのでしょう。



  もっとも、中江氏は、私に輪をかけた状態でした。髪とヒゲは伸

 び放題でボサボサモジャモジャでしたし、たいていスリッパか下駄

 を履いてやってきました。革靴を履いてくることもありましたが、

 カカトの部分を折り曲げて、スリッパのようにしていましたね。





(続きはWebサイトにて)

http://www.mz-style.com/item/198

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