冤罪を創る人々vol.8
- 2004.05.11
- メールマガジン
2004年05月11日 第8号 発行部数:209部
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「冤罪を創る人々」-国家暴力の現場から-
日本一の脱税事件で逮捕起訴された公認会計士の闘いの実録。
マルサと検察が行なった捏造の実態を明らかにする。
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山根治(やまね・おさむ) 昭和17年(1942年)7月 生まれ
株式会社フォレスト・コンサルタンツ 主任コンサルタント
http://www.mz-style.com/
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●(第五章)権力としてのマルサ ―暴力装置の実態
2.強制調査 ― 国犯法による捜査
「3)強制調査二日目 ― 平成5年9月29日(水)」より続く
http://www.mz-style.com/item/46
4)強制調査三日目 ― 平成5年9月30日(木)
一、 午後10時。松江税務署、取調べ室。
前日同様、野菜スープを持参。
藤原と新本の二人が、昨日私が話したことを質問顛末書を清書し
て、待っていた。
藤原曰く、「山根さんの要望を入れて、抗議の言葉を入れておき
ましたよ。」
少々ふてくされた様子である。一部修正させた上で、サインに応
じる。再び筆写する。
二、 午後2時30分から6時まで、二人から事情聴取を受ける。
山根:「何でもしゃべるので、二人で適当にメモをとってくれ。」
藤原と新本の二人は、机にしがみつくようにして懸命にメモる。
二人共、授業中に先生の言葉を一言も漏らさないように、必死に
なってノートをとる小学校の優等生にヘンシンしている。
三、 午後6時30分。帰宅。
夕食はうどんであった。タレに生にんにくをすってタップリ入れ
る。体力をつけなければ、死んでしまう。ようやく、食事に味がで
てきた。
タレも全部飲む。明日が楽しみだ。
5)強制調査四日目 ― 平成5年10月1日(金)
一、 午前10時30分。松江税務署取調べ室。
二人が待っている。野菜スープの入ったポットを持って部屋に入っ
た。
新本修司がしばらくしてから、黙ったまま道路側の窓を開けた。
二人とも余り話をしない。
昨日食ったニンニクが相当の威力を発揮しているようだ。藤原孝
行、イタチの最後っ屁をくらったドラ猫となる。面白い顔である。
二、 藤原:「山根さん、夕べは焼肉を食べましたね。」
― こんな状態の時、肉など食えるか!
山根:「あんたらが私をいじめるので、少しでも体力をつけようと
思って、にんにくタレのうどんを食べたんですよ。」
藤原:「私ら、人に会う前には、にんにくは食べないことにしてい
るんですがね。」
山根:「礼儀正しいんですね。」
藤原:「私、つきあいは紳士的にすることにしています。」
山根:「あんたもジョークがきついね。」
藤原、絶句。
― たっぷり皮肉を言ってやった。こんな連中が紳士なら、暴力団は
みな紳士だ。
(続きはWebサイトにて)
http://www.mz-style.com/item/50
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●山根治blog (※山根治が日々考えること)
http://consul.mz-style.com/catid/21
「空海と虫麻呂-その2」より続く
http://www.mz-style.com/item/42
高橋虫麻呂は、山部赤人、山上憶良、大伴旅人らと共に、天平時
代の歌人で、万葉集に長歌15首、短歌20首、旋頭歌1首、あわ
せて36首の歌を残しています。
女性のエロスを高らかに歌い上げ、色彩感豊かに言葉を紡いでい
く手法は見事というほかありません。
私が291日の間いた独房という空間は、華やかな色のない、い
わば単色の世界でした。白い壁、茶色の畳、ステンレスの流し台。
色彩的には単調そのものでした。
このような中にあって、虫麻呂は彼が生きた天平の時代を、華麗
に唱い上げ、私の想念の世界を彩ってくれました。小さな独居房が、
光り輝く空間へと変質し、私の心を豊かに包み込んでくれたのです。
私が最も好きな歌は次の一首です。
”級照(しなて)る 片足羽(かたしは)川の さ丹塗(にぬ)り
の 大橋の上ゆ 紅(くれなゐ)の 赤裳裾(あかもすそ)引き
山藍(あゐ)もち 摺(す)れる衣(きぬ)着て ただ独り い渡
らす児(こ)は 若草の 夫(つま)かあるらむ 橿(かし)の実
の 独りか寝(ぬ)らむ 問はまくの 欲しき我妹(わぎも)が
家の知らなく”(巻九、1742番)
当時、石橋とか船橋など水面の高さに架けた橋が一般的で、現在
普通に見られる高く架けた橋は珍しい存在であったようです。進ん
だ架橋技術が必要とされたからです。
この歌の河内(かふち)の大橋は、大橋であることだけでも特別
な存在であるのに、その上に、「さ丹塗」、つまり朱塗りの大橋で
あり、中西進さんは「河内の大橋の名をもって世に著名だったと思
われる」と述べています。
(中央公論社:「旅に棲む-高橋虫麻呂論」)
つまり、ここで唱われている河内の大橋は、天平人のいわば観光
スポットであり、注目の的であったのでしょう。
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