山根治blog

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修正申告の落とし穴-⑦

 前回述べた通告処分は、現在もそのまま生きている。但し、法人税、所得税、相続税、消費税のような申告納税方式をとっている直接税ではなく、賦課課税方式の間接税に限ったものだ。  国犯法に基づく通告処分は、昭和23年の法改正で導入されることになった申告納税方式の直接税には適用されないことになったが、これに換わるものとして事実上登場してきたのが、修正申告の慫慂(「修正申告の落とし穴-②」参照)ではなかった […]

修正申告の落とし穴-⑥

 この修正申告、実は国犯法と密接な関係を有していることが判明した。国犯法の沿革を調べているときに、制定当時の国会議事録がでてきたのである。  現在の国犯法は、明治33年3月17日に制定された法律第67号である。この法律は、もとは間接国税犯則者処分法と称した。戦後改称されて国税犯則取締法(国犯法)となった。  国犯法の前身である間接国税犯則者処分法は、明治32年11月25日の帝国議会に法律案として提 […]

修正申告の落とし穴-⑤

 料調だけでなく査察もまた、虚構のストーリーである「脱税ストーリー」をもとにして、調査という名の取調べを行う、ここに問題点の全てが潜んでいる。  料調が行う調査は実態としては違法であっても、建前としては通常の税務調査である。  従って、納税者を脅し上げて修正申告に誘導することができない場合であっても、更正(税務署長が職権で脱漏税額を決めること)の手段が残されている。  ところが査察調査には更正の手 […]

修正申告の落とし穴-④

 勝手に創り上げた「脱税ストーリー」、つまり「虚構のストーリー」を納税者に押し付け、当然のことのように修正申告を迫るのは料調だけではない。捜索令状を振りかざして殴り込んでくる査察も同様だ。査察が料調と異なるのは、ズバリ、脱税という犯罪を摘発する犯罪捜査を行うことだ。  隠れマルサと称されている料調、たしかにやっていることは査察と変るところはない。しかし、料調は法律的に認められていない、いわば”覆面 […]

修正申告の落とし穴-号外

***平成25年12月16日 松江地検3階にて 折原検事 13時30分~14時30分 検事 従来話しているとおりで、基本的には告発された意見と同じような事が民事の裁判でも問題になっておって、こちらにも記録が送られてきておって… 山根 今日、こちらに来いということでしたので、わかりやすいようにポイントをまとめておきました。この間私が出した資料に、その後新たに判明したことをプラスしてあります。特に、先 […]

修正申告の落とし穴-③

 料調が内定調査の結果携えてくる「脱税ストーリー」とは何か。  まず、内部調査によって不正行為らしきものを発見すると、他にも同様の不正行為があるものと類推し、不正金額を膨らませる。これを過去5年間にまで引き延ばして、不正金額をフーセンのように膨らませる。推計課税のやり方だ。  もともと推計課税は、一定の条件を付けた上で認められている課税処分の方法である(たとえば、法人税法第131条)。もちろん違法 […]

修正申告の落とし穴-②

 ここで、国税局の料調(りょうちょう)の傍若無人な税務調査に立ち返る。料調の無法ぶりについては、これまで度々述べてきたが、改めてこのアウトロー集団について素描する。  まず料調は当然のごとく、予告なしで会社など納税者のところに大勢で押しかけてくる。納税者の都合などおかまいなしだ。有無を言わせない。会社の内部にズカズカと踏み込み、大声を挙げて、手当り次第に引っかき回す。問答無用の暴挙である。  押し […]

修正申告の落とし穴-①

 税務調査が一通(ひととお)り終ると、決って出てくるのが修正申告の話だ。調査の結果、問題点つまり申告漏れが見つかった場合に、納税者が指摘された申告漏れをそのまま認めて、自ら納税額を修正する法律行為、これが修正申告である。  税務調査官は調査結果を説明して修正申告に応ずるように納税者を説得するのが常である。従来このようなことは慣行的になされており、修正申告の慫慂(しょうよう)と言っていた。  この慣 […]

税理士記念日?

 毎年この時期になるときまって掲載される広告がある。『2月23日は「税理士記念日」です。』と題した広告だ。「税理士はあなたのパートナーです…。税理士は、公正な立場で税金についてのご相談に応じ、税務書類を作成し、納税者のために最後まで責任をもって税務の代理をします。」などともっともらしく謳(うた)っている。所得税の確定申告時期に合わせた広告である。  全国の税理士会が、揃(そろ)い踏(ぶ)みのように […]

東京オリンピックを無視する会

 昭和39年、今から50年前のことである。私は国立(くにたち)の大学構内にあった中和寮でくすぶっていた。小林秀雄の言葉を借りれば、『いずれ人生だとか文学だとか絶望だとか孤独だとか、そういう自分でもよく意味のわからぬやくざな言葉で頭を一杯にして、犬の様にうろついていたのであろう。』(“モーツアルト”)  大学の授業にはまともに出ないで、それこそ朝から晩までモーツアルトに浸りながら、青くさい書生談義に […]

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