デタラメな70年談話-③

 明治傀儡政権の役人(官吏)を養成するために創られたのが東京帝国大学、現在の東京大学法学部である。つまり、この大学はもともと純粋な「学門の府」として出発したものではないということだ。京都帝国大学をはじめ、その後に設立された帝国大学とは出発点において全く違っているのである。

 私の母校・一橋大学は、Captain of Industry たるべき人材を養成するために設立された国立大学であり、明治傀儡政権の御用役人を養成するために設立された東京大学とは設立の目的を異にする。

 私は6年間、大学寮(一橋寮(いっきょうりょう)と中和寮)で生活しているが、そこで教わったのは自由・独立の精神であり、反骨精神であった。


「鶏口(けいこう)となるも、牛後(ぎゅうご)となるなかれ。-戦国策・韓策」
(鶏が小さな団体、牛が大きな団体のたとえ。小さい団体でもその長となる方が、大団体のしりに付き従う者となるより良い、という意。-広辞苑)



 この鶏口牛後の教えは、戦時中、憲兵が大学寮に軍靴で踏み込んできたとき、寮監をしていた教授が憲兵の無礼を咎めて一喝し追い払ったエピソードと共に、誰言うともなく大学寮で語り継がれてきたものだ。

 このように、明治政府は、西洋諸国の傀儡政権であり、その傀儡政権は薩長の独裁下にあったことを考えれば、東京帝国大学法学部卒の御用役人は薩長独裁政権の使い走り、いわば、イエス・マンに徹することを宿命づけられた腰巾着(こしぎんちゃく。腰に下げる巾着。俗に、頼りになる人のそばをいつも離れない者の意や、胡麻(ごま)をすってべったり依存したりする者の蔑(べっ)称としても用いられる。-新明解国語辞典)といったところだ。黒を白と言いくるめる「東大話法」が何故できたのか、そのルーツが分ってみるとなんのことはない。侮蔑の念に加えて、憐憫(れんびん)の情さえ催してくるほどだ。
 このことは、大日本帝国憲法から日本国憲法に変ってからも基本的に変っていない。
 天皇が元首から事実上の元首である象徴へと変り、明治政府が西洋諸国の傀儡政権であったのが、戦後はイギリスとフランスとが抜け落ちて、アメリカの傀儡政権(戦後70年、日本はアメリカの植民地であった!!)に変っただけのことだ。明治維新以来150年間の日本の国家の構造は事実上変っていない。
 明治の薩長独裁政権が弱体化するにつれて、のし上がってきたのが御用役人(官僚)だ。使い走りのイエス・マンがいつの間にか主人ヅラをして薩長独裁政権にとって変ったのである。日本が建前は議院内閣制をとってはいるものの、その実、役人(官僚)が統治する官僚内閣制であると言われる所以(ゆえん)である。

 70年談話で言及されていることとは反対に、日本は立憲主義の国でもないし、民主主義の国でもない。官僚の、官僚による、官僚のための国家、即ち、官僚主権国家である。これが現在の日本の偽らざる姿だ。
 平和憲法が無視され、政治の中枢で「東大話法」が横行する日本を支配しているのが、「国税マフィア」、「安保マフィア」など暴力団以上に悪辣(あくらつ)な東大マフィアであってみれば、暗愚の宰相が口パクで発したデタラメな70年談話は、東大マフィアが放った最後の線香花火となるはずだ。マフィアのデタラメな実態が明らかになった現在、幽霊さながら、白日のもとでは生き長らえることはできないからである。150年の間、日本の国益を壟断(ろうだん。うまく利益を独占すること。-広辞苑)してきた東大マフィアの終焉(しゅうえん)である。

(この項おわり)

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 ここで一句。

”形見分け骨董品は譲り合い” -越谷、小藤正明

 

(毎日新聞、平成27年8月20日付、仲畑流万能川柳より)

 

(知人の学者嘆いて曰く、「苦労して集めた多くの書籍、カミさんにとってはガラクタらしい。」影の声曰く、「サスガ、女の直感!!明治以来150年の間に書かれた学術書のほとんどはガラクタ(えせ学問の産物)だったりして。)

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