「福沢諭吉の正体」-⑪

 前回述べたように、日本の正史の記録(日本書紀)は、伝承されたままのものを素直に読む限り、福沢諭吉が述べていることとは相いれない。

 改めて、古田武彦が引用している部分(「福沢諭吉の正体-⑩」)を拡大して、ここに引用する。「我(わが)日本国に於(おい)ては、古来今(こらいいま)に至るまで真実の乱臣賊子(らんしんぞくし)なし。今後千万年も是(こ)れあるべ可(べか)らず。或(あるい)は今日にても狂愚者(きょうぐしゃ)にして其言(そのげん)往々乗輿(じょうよ。山根注.天子の乗り物、また天子のこと。)に觸(ふ)るる者ある由(よし)伝聞したれども、是(こ)れとても真に賊心ある者とは思はれず。百千年来絶(たえ)て無きものが今日頓(とみ)に出現するも甚(はなは)だ不審なり。
 若(も)しも必ず是れありとせば、其者は必ず瘋癲ならん。瘋癲なれば之(こ)れを刑に処するに足(た)らず。一種の檻に幽閉して可(か)ならんのみ。」

何とも恐れ入った言い分だ。-
 乱臣賊子は愚(おろ)かな狂人(狂愚者)だ。精神に異常をきたした精神病者(瘋癲)であるからには一般人と同じように扱って刑罰に処するわけにはいかない。檻(おり)のある精神病棟(一種の檻)にでも閉じ込めてしまえ。
 昨今の福祉関係の人達が読んだらあまりのことに卒倒しかねないスサマジイ内容である。

『帝室論』が発表されたのは明治15年(1882)、福沢諭吉48歳のときである。決して若気の至りなどではない。不惑を過ぎた、言わばトウの立った言論人が大真面目に喋っているのである。
 では何故福沢は、検証すれば直ちにバレるような嘘をまことしやかに開陳しているのか。何故福沢は、黒を白と言い募り、日本国民を騙したのか。その上何故福沢は、狂愚者とか瘋癲など、およそその人の品性を疑わしめるような汚い言葉を用いてまで嘘を言い張ろうとしたのか。
 理由は簡単だ。『帝室論』において、一般大衆を愚民視する福沢が、『愚民を籠絡(ろうらく)する…欺術(ぎじゅつ)』としての神権的天皇制を支持していたからだ。
 換言すれば福沢が、「天皇は万世一系の現人神(あらひとがみ)である」というフィクションを前提にしていたからに他ならない。
 偽りの前提(神権的天皇という欺術)を押し通そうとすれば、必然的に偽りの結論に辿(たど)り着くということだ。ひとたびウソをつくと、ツジツマを合わせるために次から次へとウソをつかなければならなくなり、収拾がつかなくなるのである。論理的思考力に欠けている者がズルズルと滑り落ちる陥穽(かんせい)だ。福沢は他人を瘋癲呼ばわりする前に、自らを顧(かえりみ)る必要があったのではないか。

 古田武彦は、『帝室論』における福沢の瘋癲発言を捉まえて、次のように論を進めていく。
 古田は、

「福沢思想においては、一般の人の上に『天皇』があり、一般人の下に『瘋癲』があった」

とし、さらに「脱亜論」を引用して、

「これは日本人の上に西欧人をおき、日本人の下に中国人・朝鮮人をおく議論ではあるまいか。」

とまとめている。的確な指摘である。
 結局、福沢諭吉と結びつけられてきた有名な「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」という文章は、内実を伴わない空疎なものであった、つまり、“単なる枕言葉”にすぎない「借り物」であったというのが、古田の結論であり、同時に安川氏の結論であった。

 安川寿之輔氏は、「福沢諭吉と田中正造-近代日本の光の影」の章(前掲書.P.325以下)において、福沢と田中の人間観の違いを浮き彫りにしている。そこで明らかにされているのは、福沢諭吉の差別的人間観である。
 安川は言う。

 福沢が「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」の主張者であるという誤解を取りはずしさえすれば、素顔の福沢諭吉の理解は容易である。
 そのような誤解を広めたのは、丸山真男である。丸山真男が創り出した「福沢神話」(安川氏はこれを「丸山諭吉」と表現している)の歪んだメガネを取りはずしてみれば、福沢諭吉の真の姿が自然に現われてくる。
 このようにして丸裸にされた福沢は、日本の民衆を「馬鹿と片輪」「豚」呼ばわりしたり、アイヌ先住民族を「北海道の土人(どじん)」と呼んで差別していたほどであるから、被差別部落問題とか障害者問題などはとうてい理解できるものではなかった。この意味で福沢は並みの「明治の男」であった。

 安川氏は以上のように論じた上で、福沢こそ「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」という思想とは似ても似つかない、むしろ真逆の考えを持っていた人物であると結んでいる。

「むしろ福沢諭吉こそ、明治日本の社会に「人の上」の人としての天皇制・華族制度と、「人の下」の人としての各種の被差別集団(アジア諸国民、女性、被差別部落民、アイヌ先住民、障害者)の存在を「造」りだした思想家である。」(前掲書.P.329)

 安川氏の上記の結論は、青森のリンゴ農家の屋根裏から見つかった「和田家文書」の中の文章の一つ、

「吾が祖(おや)は、よきことぞ曰(い)ふ。…人の上に人を造り、人の下に人を造るも人なり。」(「福沢諭吉の正体-⑨」参照)

を想起させるものだ。ここでは5つの「人」が用いられているが、最後の「人」こそ福沢諭吉その人であるということなのであろう。

(この項つづく)

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 ここで一句。

”玄関に領土主張のような糞” -東京、恋し川

 

(毎日新聞、平成26年9月30日付、仲畑流万能川柳より)

(北方領土、竹島、尖閣諸島、ウクライナ、中東、イスラエル、イスラム国、アフリカ諸国。糞の犯人は、アメリカ、イギリス、フランス、ロシア、中国。第2次大戦の戦勝国、国連常任理事国のメンバーだ。領土問題の本質をついた秀句。)

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