脱税は犯罪ではなかった-6

 税務調査に関連する憲法の5つの条文とは次の通り。

+基本的人権の享有。第11条
「国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。」

+財産権。第29条第一項
「財産権は、これを侵してはならない。」

+納税の義務。第30条
「国民は、法律の定めるところにより、納税の義務を負ふ。」

+法定手続の保障。第31条-適正手続きの定め
「何人も、法律の定める手続きによらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。」

+課税の要件。第84条-租税法律主義の原則
「あらたに租税を課し、又は現行の租税を変更するには、法律又は法律の定める条件によることを必要とする。」

 税務調査は、上記5つの憲法の規定に密接に関連する。それだけに、その具体的な調査手続はこと細かに定められてはいたものの、国税当局の内規として存在するのみで、一般に公開されてはこなかった。

 税務調査に関しては二つの立場がある。税務調査をする側である国税当局と、税務調査を受ける側である納税者国民である。双方の権利と義務を定めているのが、上記、5つの憲法の規定だ。
 このうち、納税者国民の義務を定めたのが2.で掲げた納税の義務(憲法第30条)の規定だ。この規定は同時に、国税当局の権利(徴税権)をも定めているといえる。
 また、納税者国民の権利を定めているのが、1.の基本的人権の享有(憲法第11条)、2.の財産権の保障(憲法第29条第一項)、4.の適正手続きの定め(憲法第31条)、5.の租税法律主義の原則(憲法第84条)である。これら4つの規定は同時に、国税当局の納税者国民に対する義務を定めているとも言えるものだ。

 1.の基本的人権の享有の規定は、日本国憲法の大原則を、2.の財産権の保障の規定は、私有財産制の原則を掲げたものである。
 税金に関して言えば、この2つの大原則の例外規定を定めているのが、憲法第30条の納税の義務だ。
 憲法は例外規定である納税の義務を置くと同時に、国税当局が徴税において暴走しないように、キッチリと枠(ワク)をはめている。
 一つは、租税法律主義の原則(憲法第84条)であり、今一つは、適正手続きの定め(憲法第31条)である。

 以上述べたように、憲法の建前としてはまことに申し分(ぶん)無い。主権在民を基本とする日本国憲法における徴税のあり方としてはまことに結構なものだ。問題は、この憲法の建前をいかにして現実のものにするかである。建前を現実のものにするためには、法律の制定が必要だ。憲法の上でいくら立派なことが唱われていようとも、法律による裏付けがなければ空疎である。
 国民の義務である納税の義務については、税に関する多くの法律が定められ、この点、租税法律主義の原則は一応守られていると言えよう。もっともこれとても、世界的に知れ渡っている「ギョウセイシドウ」が税務の分野でも幅をきかせ、租税法律主義の原則が骨抜きになっているケースが多々見受けられるが、ともかくも一応はそれなりに整備されている。
 ところが、適正手続きの定め(憲法第31条)については、従来は、法律の定めがないに等しい状況であった。
 確かに、国税通則法にはそれなりの手続きが規定されてはいた。しかし、見事なまでの骨抜き状態であった。

 既に述べたように、公権力としての課税権は各税務署長の専権事項であり、この公権力を行使するためには、「税務署長の調査」、即ち「税務調査」が絶対的な必要要件とされてきた。(「脱税は犯罪ではなかった-3」参照)
 しかしこれまでは、この肝腎な「税務調査」がいかなるものであるのか、法律上の規定がなされていなかった。
 ただ、現実の税務行政を遂行するためには、各税務署長とその配下の職員に対して適切な税務調査の指針を示し、恣意的な行動を規制する必要があった。そのために、税務調査を公権力行使の際の必要的要件とした法の立法趣旨に沿った指針が作成されてきた。これは、膨大な量の「内規」(「民主党政権の置き土産-偽りの査察調査-③」参照)として存在するのみで、一般に公開されてはこなかった。
 この内規、情報公開法に基づいて開示請求しても、肝腎なことについてはベタベタと黒塗りの状態で開示される内部通達であり、事実上部外秘とされてきた内規であった。

(この項つづく)

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 ここで一句。

“初詣で無神論者の長い列” -四街道、よっしー

 

(毎日新聞、平成26年1月3日付、仲畑流万能川柳より)

(平成25年12月26日、安倍晋三内閣総理大臣の靖国神社公式参拝。天皇を現人神(あらひとがみ)とまつり上げた、戦前の国家神道復活宣言。)

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