脱税は犯罪ではなかった-3
- 2013.12.31
- 山根治blog
『査察調査の根拠法とされてきた「コッパン法」には致命的な欠陥がある。査察調査に基づいて刑事告発することはできない。』
これが結論の一つであった。
ところが結論はこれだけではない。ひとたび査察に着手した以上、いくら脱漏所得があろうとも公権力を行使して課税することができない。査察には課税権がないからだ。これが2つ目の結論だ。
これまで長い間、査察は、あたかも課税権があるかのように振舞い、実際に修正申告の勧奨(従前は慫慂(しょうよう)と言っていた)を堂々と行なってきた。その上で、修正申告の提出先を所轄の税務署長にするように指示して、形式的には嫌疑者が自発的に修正申告したかのように装ってきた。カムフラージュである。
嫌疑者が修正申告を拒否した場合はどうであったか。問答無用とばかりに、所轄税務署長に指示して更正処分(税金の追徴手続き)をさせてきた。法律上できないことを、できるかのように偽ってゴリ押ししてきたのである。
課税権、つまり更正とか決定といった行政処分の権限は、税務署長の専権事項だ。国税局の査察が更正処分を税務署長にさせてきた根拠は、国税通則法第27条であった。
同法第27条は次のように定められている。
この規定は、税務署の当該職員(質問検査権を持っている職員のこと)の調査だけでなく、国税庁とか国税局の当該職員の調査に基づいても、更正などの行政処分ができることを定めたものだ。
ただその際の手続きについて、国税庁とか国税局の当該職員による調査に基づいた処分の場合には、税務署長は納税者に対してその旨を通知しなければならないことになっている。国税通則法第28条第2項、第3項の規定がそうである。
では、実際に査察はどのようにしてきたか。私自身のケース(「冤罪を創る人々」参照)について明らかにする。
益田税務署長は、平成8年3月25日、更正通知書を送達。私が松江地検に公正証書原本不実記載で逮捕されたのが平成8年1月26日、脱税で再び逮捕されたのが平成8年3月7日のことであったから、脱税容疑で再逮捕されてから28日後のことである。松江刑務所拘置監の独房に差し入れられた、多額の更正通知書に接して私の胃がキリキリと痛んだ。
この通知書をこのたび改めて確認して驚いた。確かに、更正通知書の下方には附記する欄、つまり
が設けてあった。
ところがこれが、わざわざ二重線を引いて抹消されている。つまり益田税務署長は、益田税務署の職員の調査が実際にはなされていないにも拘らず、自らの職員の調査であるかのように装って偽りの更正通知書を出していたのである。明らかに国税通則法第27条、第28条第2項に違反している。
益田税務署長の行なった更正処分は、法に定める適正な手続きを欠いた違法な処分であった。
当然のことながらこの更正処分は無効である。更正処分が無効であることについては、私も私の刑事弁護人も当時全く気がつかなかった。
実は、この旨の記載が重要な意味を持っていることに気がついたのは一年ほど前のことだ。
最近に至るまで、査察には当然に課税権があり、手続の上で税務署長が更正処分をしているだけだと思い込んでいた。これは私が勝手に思い込んでいたのではない。国税当局の公式見解として堂々とまかり通っていたのである。
では一年前に何があったか。
私は、数年前に相続税の脱税事件で第一審が敗訴となった納税者から相談を受けて、複数の弁護士と弁護団を組んで、国税不服審判と刑事事件の第二審以降の仕事を引き受けていた。
私の税理士としての仕事は、もっぱら不服審判に向けての書類の作成であり、刑事事件に関しては鑑定書の作成とか弁護団へのアドバイスにとどまっていた。
大阪国税局の査察部が作成した質問てん末書とか査察官報告書は膨大な量に達しており、その内容の分析と解読にほとんどの時間を費やしていた。査察が行なった相続財産の計算はデタラメのオンパレードであった。そのデタラメな計算をもっともらしく見せかけるために、事実に反する虚偽の供述が利用されていたのである。また、信じられないような誤った計算方法によって、現金の残高が5億円も水増しされたりしていた。刑事弁護にたずさわる弁護士とか裁判官が共に、税法と税務に無知であり数字オンチであることをいいことにして、まさにやりたい放題だったのである。
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ここで一句。
(幽体離脱でもなさったの?)
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