クレーマー・橋下徹氏の本性-⑨

 まず、いびつな資格試験の代表格である司法試験について。法曹の登竜門としての司法試験は、他の国家試験と同様、本来は単なる職能試験だ。法曹という特殊な仕事につくための最低限の基礎知識を検査する試験、いわば法曹人という職人を選抜する試験である。この点、医師国家試験、公認会計士試験も同様だ。これが建前である。

 これに対して現実はどうか。医師も公認会計士も、試験に合格し資格を得たら、それぞれ与えられた職務に専念する。つまり、職人としての道を歩む訳で、それ以上のものではない。一生、一職人であるだけのことだ。
 ところが、法曹人だけには全く異なった世界が待っている。国家権力の中枢に直ちに入り、直ちに中核的な業務に携わることができるのである。
 若い時の一回だけのペーパーテストによって、事実上、一生の身分が保証される。しかもその身分は、検事とか裁判官はもとより、弁護士も国家権力の担い手としての身分だ。
 たかだか司法試験に合格しただけで、若くして国家権力の一端にかかわることができるわけで、弁護士を含めた法曹三者に一種の特権意識が芽生え、その結果、国民一般を見下すようになるのではないか。この点、キャリア官僚と同じである。このような権力者としての特権意識こそ、法曹三者の考え方を歪曲させている最大のものではないか。
 権力者が長年権力の座にしがみついていると必ずや腐敗する。これは世の東西を問わず、これまでの歴史が示すところである。この伝でいけば、法曹三者にせよ、キャリア官僚にせよ、一生涯、事実上の権力を手にしている訳であるから、腐るのがむしろ当然だ。腐った権力者の特権意識そのものが歪んでいくのは、自然の成り行きではないか。

 法曹三者が住みついている狭い世界を法曹界、あるいは法律ムラというが、その法律ムラにしみついている特権意識を更に歪めているのが怪しげな学閥意識だ。
 明治10年、明治維新政府によって、薩長独裁政権の維持を目的として設立された国策大学が今の東京大学だ。設立以来135年、国策大学として君臨してきた東京大学、中でも象徴的な存在が東京大学法学部である。
 東京大学法学部。明治維新政権だけでなく、歴代の政権と政権政党とを、法の制定と運用の面で支えてきた組織である。純粋な学問の組織ではなく、多分に政治的な組織、いわば御用組織であるということだ。
 時の権力組織に奉仕し、権力と一心同体となったことから、権力組織の重要な役割、即ち、法曹部門の独占的運用を任されたのが東京大学法学部出身者を頂点とする法曹ムラである。もともと、虎(権力)の威を借る狐であったものが、虎を押しのけていつの間にか自分が権力の座についている。
 もちろん、このように大雑把に断定すれば、法律ムラから異論が続出するかもしれない。しかし、法律ムラに身を置かない一職業会計人の眼からは、大筋としてこのように見えるのである。建前としては、司法、行政、立法の三権分立と国民主権が唱えられてはいるが、実態は全く異なっているということだ。

 この法律ムラに君臨してきたのが、東京大学法学部出身者であった。この人達は明治以来一貫して日本国家を経営していくのは自分達であるという強い自負の念を抱かされ続けてきた。国策大学の使命は、国家の統治者の片腕となることであり、自分達こそ選ばれたものであるという、恐ろしいまでの思い上がりがしっかりと植えつけられてきたのである。虎の威を借る狐の思い上がりである。
 このような倒錯した選良意識は、法律ムラだけのものではない。キャリア官僚が巣食う官僚ムラにも蔓延している病癖だ。
 ちなみに、政治の世界で時に保守本流と言われることがあるが、これは、東京大学法学部出身者の中で、法律ムラと官僚ムラに入ることができた連中のことだ。東京大学の中でも法学部以外の者は保守本流とはみられないし、法学部の中でも一握りの上位成績者以外の落ちこぼれは保守本流ではない。

 橋下徹氏は早稲田大学出身である。この大学、立派な大学ではあるが、東京大学法学部ではない。従って、司法試験に合格して法曹人の仲間入りしたとしても、保守本流ではない。どんなに努力しても、法律ムラのトップになることはできないのである。
 法律ムラという閉鎖的なムラがいかなるものであるか、橋下氏は実際にムラの住民になるまでは思いもしなかったに違いない。
 保守本流であるか、そうではないか、このことはいくら努力しようとも後の祭りである。不文律の差別、被差別部落に対する差別と同等か、それ以上のものだ。
 必死になって勉強して、やっとの思いで手にした法曹資格には不文律の差別が厳然として存在していた。ムラの掟である。
 橋下氏の幼少年期は極貧状態であったとされている。この点、私も橋下氏と同等か、それ以上に貧しい家庭に育っているから他人ごとではない(「冤罪を創る人々」“原体験への回帰”参照)。
 幼少年期の極貧状態は、私と同様に潜在的な劣等感(インフェリオリティ・コンプレックス)を形成したに相違ない。これに関連して言えば、橋下徹氏には自らの出自についての被差別意識、つまり劣等感はほとんどなかったのではないか。
 それどころではない。逆に、大阪府知事選挙の際に、被差別部落出身であることを自ら堂々と公言しているところからすれば、自らの誇りとさえ思っていたのではないか。一般的にはハンデキャップとされていた出自を乗り越えてきた自信と誇りの方がむしろ大きかったのではないか。

 いずれにしても、極貧状態であったが故の劣等感は、司法試験に合格することによって一時的に癒された。癒されただけではない。誇大妄想的な優越感にまで膨れ上がり、国家権力を手中にできる立場になった。
 ところが、いざ法曹人として法律ムラの一員になってみると、越えることのできない大きな壁にぶち当たった。保守本流という不文律の差別である。
 この現実は、法曹人特有の歪んだ優越感を一段と歪めることになったに違いない。
 佐野眞一氏が指摘したように、橋下氏の中に

「敵対者を絶対認めない非寛容な人格」

が認められるとすれば、その原因の一端は、橋下氏がクレーマー集団としての被差別部落に生まれたことにあるとはいえ、原因の大半は、弁護士になったが故に生じた倒錯した考え方そのものにあるといえようか。

(この項つづく)

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 ここで一句。

“維新の会アイツとアイツは保身の会” -中国、哀路兄

 

(毎日新聞、平成24年11月17日付、仲畑流万能川柳より)

(アイツとアイツだけ? 保身でないのがどこにいる。)

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