日本神話のヘンシン-3

 平安時代の終り頃から日本の政治の表舞台に武士が躍り出てくる。平氏であり源氏である。

 武士の躍進に伴ない、これまで貴族と共に政治支配の一翼を担い、自前の領地を確保していた各地の寺社が新興の武士達に経済的基盤を奪われていった。

 このような社会経済情勢の変化につれて、天皇を頂点にすえた貴族社会のための宗教から、武士を中心とする一般市民の救済をも配慮に入れる宗教へと変容せざるを得なくなった。神社関係で言えば、古事記・日本書紀に伝えられた日本神話の読み直し作業である。社会の変化に応じて都合よく神話の読み替えがなされたのである。神社にかかわる者達の生き残り作戦といってもよい。

 このときに新たに創り上げられた日本神話を一般に「中世日本紀」と呼んでいる。これが日本神話の6回目のヘンシンだ。このヘンシンを界にして、古来から伝承されてきた日本神話が、神職達の手によって自由に改変されることになった。

この創作神話を端的に表しているのが「七福神」だ。福徳の神とされた7柱の神々である。
+大黒天(だいこくてん)
+恵比寿(えびす)
+毘沙門天(びしゃもんてん)
+弁財天(べんざいてん)
+福禄寿(ふくろくじゅ)
+寿老人(じゅろうじん)
+布袋(ほてい)
 もともと、インドの神であったり(1.の大黒天、3.の毘沙門天、4.の弁財天)、一地方の漁師達が信仰していた神であったり(2.の恵比寿)、伝説上の人物であったり(5.福禄寿)、あるいは実在の人物であったり(6.の寿老人、7.の布袋)と、まことに賑やかな顔ぶれである。それぞれにもっともらしい理屈をつけて庶民受けする神にまつり上げ、民衆の関心を引きつけて、神社のメシの種にしたのである。
 現在全国の自治体が、競うようにマスコット・キャラクター、いわゆる「ゆるキャラ」を創り上げて観光客を誘致しようとしていることと何ら変るところはない。

 「中世日本紀」の痕跡は、全国各地に残っている。
 九州地方に残る天孫降臨に関する「遺跡」、出雲地方に残るヤマタノオロチ伝説に関する数多くの「遺跡」、これらは、「中世日本紀」をもとに創られた遺跡で、今から600年以前に遡るものではない。
 先般60年に一度の遷宮が行なわれた出雲大社にも数多くのトリックがある。
 トリックの一つは、「国譲り」の場所が出雲市大社町の稲佐の浜であるとするものだ(千家尊統、「出雲大社」、学生社)。
 稲佐の浜は、伊那佐之小濱(イナサノヲハマ、古事記)、あるいは五十狭々之小汀(イササノヲハマ、日本書紀)、建石之小濱(タケシノヲハマ、旧辞本紀)とされ、全て「小」(ヲ)という字が冠せられている。「小」とは小さい、かわいらしいといった意味合いのものだ。
 一方で、出雲国風土記が伝える稲佐の浜は「薗之長濱(ソノノナガハマ)」とあって「小濱」ではない。長くて大きいのである。
 古事記ができたのは712年、日本書紀は720年だ。出雲国風土記が勘造されたのは733年、当然のことながら出雲国風土記の執筆に携った人々は、古事記はともかく、少なくとも公的歴史書である日本書紀の記述内容は知悉していたはずである。
 大和朝廷から派遣された役人の厳しいチェックがあったとしても、風土記勘造の責任者は出雲臣広嶋であり、各郡の執筆責任者のほとんどが出雲族である。
 当時、実際の国譲りがあってからすでに500年が経過している。出雲国の中心地から遠く離れた杵築(大社町)に出雲族の祖神である熊野大神を移遷させてからまだ200年も経っていない。
 記紀では、移遷後の辺陬(へんすう)の地を国譲りの地ということに仮装して、国譲りが実際に行なわれた場所を隠蔽しようとしている、-大和朝廷に反感を抱く出雲族がこのように考えたとしても不思議ではない。
 そこで、出雲国風土記では、ヤツカミヅオミツヌノミコトの「国引き神話」にことよせて、敢えて「薗の長浜」と記述し、「小浜」(小さな浜)ではないことを強調しようとしたのではないか。征服された出雲族のささやかな抵抗である。
 では、稲佐の浜が、出雲市大社町ではないとすれば、国譲りの儀が挙行されたイナサノヲバマ、イササノヲバマは一体どこであるか。
 結論を言えば、国譲りが実際に行なわれた場所は松江発祥の地である松江市の白潟地区である。私が国譲りの儀式が執り行われた地を白潟(しらかた)と比定するに至った詳しい経緯については別稿に譲る。

(この項つづく)

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 ここで一句。

“すごいなあ 英語のヤジに 怒ってる” -守谷、和音

(毎日新聞、平成25年6月26日付、仲畑流万能川柳より)

(思い上がった外交官の“シャラップ”発言。今から30年ほど前、ドイツに駐在したことのあるキャリア官僚の自慢話、「ドイツのシュミット首相とドイツ語でケンカしてやった」。それがどうしたー、というところであるが、野放しにされやりたい放題をしているキャリア官僚、日本語と日本文化をろくに知らないで、ヘタな外国語を操って得意になっているキャリア官僚のレベルの低さはどうにかならないものか。)

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