クレーマー・橋下徹氏の本性-⑪

 これまで橋下徹氏を、端(ハタ)メイワクな典型的なクレーマーと位置づけ、その背景として彼の出自、つまり被差別部落特有のものの考え方があることを指摘すると同時に、彼の職業、つまり弁護士特有の倒錯したエリート意識があることを取り上げた。このために、橋下氏が正論と考えて発信したとしても、これらのバイアスがかかっているために、大方の日本人にとってはなんとなく歪んでみえるのであろう。

 考えてみれば、橋下徹氏の知名度が大阪だけでなく全国的に広まったのは、マスコミ、とくにテレビによってである。橋下氏が35才の時、日本テレビ系全国ネットの『行列のできる法律相談所』にレギュラーとして出演したことが知名度を高める大きな役割を果した。
 この番組は私も大好きでよく見ていたが、その見どころは何といっても司会者である島田紳助氏の絶妙な手綱さばきであった。ヒナ壇に並ぶ一クセも二クセもある10人前後のタレントから話題を引き出し、絶妙なツッコミを入れる。タレントは全てボケ役である。アシスタントの女性アナウンサーも、弁護士軍団も刺身のツマとしてのボケ役だ。
 島田紳助という天性の芸人が、20人前後の男女を切れのいい話芸で見事にさばいていく。いわば1人のツッコミと20人前後のボケで成り立つトークショウという名の漫才だ。弁護士軍団はヒナ壇に並んでいるタレント達を引き立てるために用意されたボケ役である。先に刺身のツマとしてのボケ役と称したのはこのことだ。
 番組としては、弁護士の連中が何を言っても構わない。とにかく、大マジメにもっともらしいことを喋ってくれればいいのである。イエスとかノーなど関係ない。
 弁護士たちは、天才芸人からセンセイといって持ち上げられている手前、懸命になって回答していく。彼らが真剣になればなるほど、漫才としてのトークショウも面白みが増していく仕掛けになっている。弁護士同士が意見の違いでケンカでも始めてくれれば最高だ。

 その仕掛けはこういうことではないか。そもそも、とり上げられるテーマそのものが、どうでもいいこと、あるいは、どうとでも言えることが多い。現実の社会では当事者間でテキトーに折り合いをつけて済んでしまうようなことがらだ。法律のプロとしての弁護士に尋ねることでもないし、尋ねられた弁護士としても、大マジメに答えるようなことではないということだ。
 法律というものは、人間が社会生活を営んでいく上で、一定の規範を定めただけのもので、社会生活の全てを律することができるものではない。中でも、この番組でよく取り上げられる男と女のモメゴトなどもともと法になじむものではない。犬も食わないと言われている通りである。
 西洋の諺に、悪しき隣人の代表格に弁護士が挙げられているのも、隣人とのつき合いにおいて、本来持ち出すべきものではない法の論理をやたらにふりかざすからではないか。隣近所の人達に嫌がられて当然だ。
 つまり、一応はインテリ・セレブの代表格とされている弁護士が、どうとでも言える愚問に対して、大マジメになればなるほど、更には弁護士同士が口角泡を飛ばして激論すればするほど、司会者はニタリとし、視聴者は面白がるのである。

 古典落語に、知らないことは何もないと豪語している長屋のご隠居がでてくる。“千早振る”である。このご隠居に、在五中将こと在原業平が詠んだ、

“ちはやぶる 神代も聞かず 竜田川 からくれなゐに 水くくるとは”(古今・秋下294)

の意味を尋ねた江戸っ子がいた。この歌は藤原定家が百人一首の中に取り入れたものであり、当時江戸の街で広く人口に膾炙(かいしゃ)していたのである。
 私の子供の頃、まだテレビはなかった。ラジオでこの落語に出会って大笑いした思い出がある。奇想天外な珍答を繰り出して得意そうに振る舞うご隠居の言い回しと、合の手を入れては大マジメに拝聴するフリをしている茶目っ気のある江戸っ子の咄(はなし)は、その後幾度となく見たり聞いたりしたが、何度聴いても涙がでるほど面白い。島田紳助氏の役回りは、さしずめご隠居から珍答をひっぱり出す江戸っ子であり、練達の咄家である。対する弁護士軍団は、悦に入って愚にもつかない自説を滔々(とうとう)と披瀝する長屋のご隠居といったところだ。

 島田紳助氏がワケの分からない理由で芸能界からしめ出されてからも、この番組は続いている。しかし、形式的には似たような番組ではあるが、全く異なるものになった。面白くなくなったのである。
 弁護士軍団は以前と同様に、どうでもいい問題に口角泡を飛ばして喋っている。しかし、そこからは、かつてのように心から笑うことのできる要素が消え去った。残るのは、愚問に対して大マジメに取り組んでいる、弁護士という名の単なるピエロ軍団でしかない。もともと面白くもなんともない、たわいのない話に終止する素(す)の弁護士の姿が顕(あらわ)になるのである。島田紳助という芸人がふりかける魔法のような“技”がなくなったからだ。

 天才芸人の掌の上で踊らされ、それによって全国的な知名度を得ることができたと考えれば橋下徹氏は、いわば一人の芸人が創り出したメディア上の虚像にしかすぎなかったのではないか。
 橋下氏はいまだ40歳の半。これから長い人生があるはずだ。橋下徹氏がメディアの虚像からいかに脱皮して自らを確立していくか、私は聡明かつエネルギッシュな橋下氏のこれからの人生に注目したい。

(この項おわり)

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 ここで一句。

“早起きし 良い竿持って 餌やりに” -富士、富士のマク

(毎日新聞、平成25年1月5日付、仲畑流万能川柳より)

(もしかして、ドジな魚がいて、釣れてくれたりして。)

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