クレーマー・橋下徹氏の本性-⑤

 この連載の第1回目を公表したところ、さっそく読者の方から批判をいただいた。

 私が、橋下徹氏について、『幼児性丸出しの八つ当り、筋の通らないことをやたら大声でわめき散らすクレーマー』と指摘し、更に、『橋下徹氏は、朝日新聞出版が朝日新聞社の100%子会社であることを持ち出して、
「では、朝日新聞社が持っている朝日新聞出版の株式をどこかに譲渡して、100%子会社でないことにすることができるのか」
などと、およそピント外れの愚問を発して、朝日新聞の記者を当惑させている。』と具体的な内容の一端に触れたことに対する批判である。

 この読者は、橋下徹氏が『週刊朝日を出している朝日新聞出版は朝日新聞社の100%子会社であるから同一の会社とみなすべきであること、これらから朝日新聞社はこの記事に対して全面的な責任を負うのが当然である。』と主張したのは、『至極妥当な判断』であり、私の所論を誤りであるとしている。

 ブログを初めて8年余り、その間、週に一回以上のペースで記事を書き、ネットで公表してきた。それに対して、ブログ上でのコメントだけでなく、メールなどで賛否こもごもの意見が数多く寄せられてきた。
 批判的な意見の中には、単なる中傷とか、私の記事をまともに読んでいない人からのものが多かった。これらについては、敢えて反論することを控えてきた。時間の無駄だからである。
 しかし、批判の中にはこのようにゴミのようなものばかりではなく、知的レベルの高い方からの真面目なものも混じっていた。私はこのような真摯な批判についてはできるだけ対応し、しかるべき反論を行ってきた。
 このたびメールを寄せられた読者もその一人である。
 以下、私の反論である。この反論は同時に、橋下徹氏の所論に対して疑問を抱いた第二の点を明らかにするものとなる。
 つまり、私が疑問を抱いた第一の点(「クレーマー・橋下徹氏の本性-①」参照)は、被差別部落問題が重大な人権問題だとする橋下氏の所論についてであったが、第二の点として次のことを取り上げる。つまり、

「100%子会社は親会社と同一の会社と見なすべきであること、親会社は子会社の行なったことに対して全面的な責任を負うのが当然である」

とする所論が本当に的を射た正しいものであるかどうかということだ。

 私はこのような見解に対しても否定的である。法律的にも、一般常識的にも明らかに誤っている。
 何故か。
 まず法律的側面について。
 そもそも会社とは何か。会社とは、会社法にもとづいて設立された法人であり、法人として権利能力を持っている。その権利能力を行使するのは法人の役員であり、取締役会だ。株主ではない。100%子会社といえども変るところはない。
 次に100%子会社とは何か。一人又は一法人によって出資金(資本金)の全てが握られている会社のことだ。本件に即して言えば、朝日新聞社によって発行済株式の100%が所有されているのが朝日新聞出版ということ、つまり、朝日新聞社が朝日新聞出版の唯一の株主ということだ。
 では、100%の株式を所有している株主は、子会社に対してどのようなことができるのか。株主の権限とは何か。
 株主の権限については、会社法で定められており、その権限の範囲でしか権限の行使ができないということだ。株主ができることの主なものは2つ。一つは会社が事業として何を行なうのか(会社の目的)を決めることであり、今一つは、会社の役員の選任(人事権)である。
 会社の経営権についていえば、子会社の取締役会にあり、株主にはない。100%株主であったとしても直接には関与することができない。人事権を行使することによって間接的な関与がなされているのが現実であるが、法律的には直接的な関与ができないのである。
 朝日新聞出版の編集権は、親会社である朝日新聞社から独立しているという。この編集権なるもの、朝日新聞社にせよ、朝日新聞出版にせよ、共にマスメディア事業を主たる目的としている会社であるから、経営権の中核に位置するものだ。
 週刊朝日が掲載した記事の当否は、このような経営権の中核をなしている編集権に関するものである。100%株主である朝日新聞社といえども、編集権が独立しているのであれば、関与できる筋合いのものではない。法律的に関与できないのである。
 法律的に関与できないことに対して、橋下氏は親会社である朝日新聞社に対して全面的な責任を負うのが当然だと強弁していることになる。ゴリ押しである。
 この点から、橋下氏の所論は、黒を白と言いくるめる三百代言と何ら変るところがない。私が敢えてクレーマーと称する所以(ゆえん)である。

(この項つづく)

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 ここで一句。

“急用があるのか野良の急ぎ足” -川越、麦そよぐ

 

(毎日新聞、平成24年11月8日付、仲畑流万能川柳より)

(ネコにはネコの、我々凡夫には思いの及ばざる世界があるのかも。)

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