「悪徳税理士」の弁-①

 私は悪徳税理士だそうである。しかも、納税者を食い物にする悪徳税理士だという。

 私が悪徳呼ばわりされたのはこれが初めてではない。今から16年前のことである。平成8年1月、私は巨額脱税事件の主犯として松江地検に逮捕された。公認会計士による巨額脱税ということで、テレビ・新聞の各マスコミはこぞってあることないことを言い募り、私を稀代の悪徳会計士に仕立て上げた。この顛末についてはすでに「冤罪を創る人々」(「2.脱税日本一」参照)で公表したところである。

 このたび私に「悪徳税理士」の烙印を押してネットで公表したのは、同業者である若い税理士だ。
 神戸市で開業している齋藤義典税理士がその人で、ホームページ上で「最悪な税理士たち」シリーズの一つとして、

『国税局の税務調査を受けた納税者を食い物にする「悪徳税理士」の実態』

と題して公表(2012/06/08)し、悪徳税理士、最悪な税理士として「山根治」を名指ししているのである。
 それだけではない。私の事務所に、大阪国税局長と広島国税局長宛の「税理士監督等申立書」なる文書を送りつけてきた。2012年7月2日のことである。

 この日私は大阪にいた。2件の脱税事件の関与税理士として、大阪合同庁舎に出向いていたのである。用務の一つは大阪国税不服審判所での担当審判官との面談、今一つは、進行中の査察調査についての調査立会いと担当査察官との話し合いであった。
 私はケータイを持っていない。事務所への連絡は公衆電話からすることにしている。いつものように、大阪国税局の合同庁舎1Fの公衆電話から事務所へ電話を入れてみたところ、

「ヘンなものが送り付けられてきた」

というのである。
 内容を確認してみると、私を業務上横領と詐欺の廉(かど)で刑事告発するように申し出た文書と、私が不当に得た1,210万円を被害者本人から債権譲渡を受けたので、一週間以内に自分(齋藤義典税理士)の口座に振込めという文書であった。前者は配達記録郵便、後者は内容証明郵便という大げさなシロモノである。
 電話口でとっさに思い浮かんだのは、ヤクザの恐喝(カツアゲ)ではないかということであった。弁護士の資格をもったヤクザがいる世の中だ。税理士の資格を持ったヤクザがいてもおかしくない。

 ヤクザの仕業ではと思ったのには訳がある。怪しげな言いがかりをつけて金をゆすりとろうとしているからだ。あるいは、新手(あらて)の振り込め詐欺ではないかと思ったからだ。まっとうな人なら、このようなことをするはずがない。
 ヤクザがらみの恫喝はこれまでにもあった。一回や二回のことではない。
 今から30年前、私が40歳の時のことである。ホンモノのヤクザが私の事務所に乗り込んできたことがある。私が書いた記事(「倒産仕掛人(明窓閑話113)」参照)に因縁をつけて脅しにきたのである。
 代紋入りの大型名刺、黒シャツに白ネクタイ、白のエナメル靴、車は白のリンカーンコンチネンタル。
 ヤクザ映画から抜け出したような“ザ・ヤクザ”が、二人の子分を従えて私の前に現れたのである。

「アンタが書いた記事で聞きたいことがある。この情報を流したのは誰だ。是非教えて欲しい。」

 情報源の探索だ。情報源が仮にあったとしても教えることなどできるはずがない。その人に危害が加えられるのが目に見えているからだ。その上に、私に対して何を要求するか分かったものではない。いくらヤクザが威嚇しようとも、できないことはできない。私はトボケルことにした。

「私の記事を熱心に読んで下さっているようですので感謝します。ご指摘の記事は、私の創作で、いくつかの材料を勝手につなぎ合わせた空想の産物です。もちろん、誰かから情報を得たということはありません。」

 ザ・ヤクザ、ドスをきかせて私につめよった。

「それにしても余りにも生々しく書いてある。その場に居合わせた者でなければ知らないことが書いてある。」
「ではお尋ねしますが、私の創作記事とソックリな事件をあなたはご存じですか。もしや、あなたが事件の当事者であるとでもおっしゃるんですか。」

 この問いかけに対してザ・ヤクザはシドロモドロとなって、お茶も飲まずにそそくさと席を立った。乗り込んできた時の勢いはどこへやら、負け犬が尻尾をまいて逃げ出したのである。

(この項つづく)

 ―― ―― ―― ―― ――

 ここで一句。

“アンニュイな感じで尿意耐える女” -鶴岡、本間成美

 

(毎日新聞、平成24年7月4日付、仲畑流万能川柳より)

(すると、桃井かおりさんあたり、年中耐えている?)


倒産仕掛人(明窓閑話113)

公認会計士 山根治

 山陰地方のある都市で一軒の医院が倒産した。
 近年、全国的に多発している病院経営破綻の一つである。
 Y医院。開業して七年になる医院であった。
 院長Y医師のプロフィール。
 昭和三年I市に生まれる。I高校からT大医学部に進む。インターン時代、看護婦であった女性(現夫人T子、昭和九年生まれ)と結婚。この結婚に強く反対した両親と不仲となり、以後勘当同然の状態となった。
 大学卒業後、公立O病院に勤務医として赴任。院長を経験した後、昭和四十九年退職し、M市にてY医院を開設。
 Y医師は性格的に異常な程激しやすく、ものごとに対して冷静に対処できる性格ではなかった。バクチが好きであり、勤務医時代から花札、麻雀と高レートの賭博に首を突っ込んでおり、この線から不良グループとのつながりができたとされる。
 このような素地のあるY医師が、医院経営を始めたのである。
 M市でも札つきのワルであるAが、Y医師にネライを定めた。
 Aは言葉巧みに接近し、遊興資金に窮していたY医師にお金をヒネリ出す方法を教え込んだ。
「あなたはM市の名士です。信用たるや絶大なるものがあります。これは手形といいまして、ただの紙切れにすぎませんが、先生がこの紙切れにサインをし、判を押されるだけで見事お金にかわるのです。銀行から借りるとすれば面倒な手続きが必要であるうえに、お金の使い途についてもアレコレと詮索されるでしょう。
 ところがこの手形を使えば、そんな面倒なことは不要です。私にまかせていただければ、一日のうちに現金にしてさしあげましょう。手数料とか金利はその分だけ差し引かれることになりますが、大した金額ではありません。私を信用してまかせてみませんか。」
 Aは、Y医師が経済のことに無知であることに乗じて、とうとうY医師に手形を発行させることに成功した。いうところの融通手形、金融手形である。
 Aは知り合いの高利貸に、この手形を割り引かせ現金化した。はじめのうちこそ正直にY医師のところに現金を持参していたが、そのうちに手形をまきあげるだけで、Y医師に現金を渡さなくなった。毎回、適当な理由をデッチあげて、手形を詐取していったのである。
 このAなる人物、札つきのワルであるもののチンピラの部類である。Bなる偽名を使い、H代議士の事務所に出入りしては、H代議士と個人的に親しくしていると世間に勝手に吹聴し、金になることなら何にでも首を突っ込んでいる男だ。
 蛇の道はヘビ。Aがうまい汁をすっていることをかぎつけた、この地方きってのワルであるKが割り込んできた。
 昭和五十五年某月某日、つまりY医院倒産のおよそ一年前のことである。
 M市の某所にKを中心とするグループの主だった人物が集まり、密議をこらした。Y医院をダシにして、いかに多くの金を詐取するかについての謀議である。
 まずK。Kグループの中核的存在。かつてまともな事業をしていた時期もあったが、手形をパクられて倒産して以来、今度は自ら金融犯罪に手を染めだし、今では知る人ぞ知る、経済の闇をわたり歩くボス的存在となっている男。
 次にB。現在表むきの商売は自動車用部品の売買。ところが一皮めくれば暗闇の紳士。利益は暗闇にあり、ということを信じ、実行している男。
 C。三十代の司法書士。一流と目される国立の大学を出て、弁護士をめざして勉強していたが果たせず、現在ゆがんだ法律知識をフルに悪用して、ワル仲間の知恵袋となっている司法試験くずれの男。
 その他前記Aと二人の雑魚(ざこ)。
 この六人が、具体的にどのような話し合いをしたのか知る術もない。はっきりしているのは、この密談のあった時から一年の後に、Y医院が倒産に追い込まれたという事実である。

(松江市灘町)

(山陰経済ウイークリー 昭和57年8月3日号より)

***<追記>2012.7.10
 このY医師は実在の人物である。ヤクザに資産を食い物にされただけではない。破産状態であっても医師の資格さえあれば金になる。全国各地で働かされ、青森から北海道へ渡ったところで消息が絶えた。地元では、消されたとの噂が広まった。今から十数年前のことである。
***<追記>2012.7.12
 「倒産仕掛人(追記)」を公開。

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