400年に一度のチャンス -22
- 2011.06.14
- 山根治blog
***22.400年目の転機-世界①(収奪経済からの脱却)
大航海時代。15世紀から17世紀前半にかけて、ヨーロッパ人が新航路・新大陸を発見し、活発な植民活動を、アフリカ・アジア・アメリカ等において積極的に展開した時代である。植民地主義的な海外進出が地球規模で行われた時代だ。
ヨーロッパ人からすれば、自分達の夢を大きく膨らませる“大航海時代”であり、新しい活動の拠点を求めての“海外進出”であったが、進出される側のアフリカ・アジア・アメリカ等の側からすれば、国土が略奪され、住民は奴隷にされることを意味するものであった。
原住民は奴隷として使役されたほか、奴隷貿易の対象(商品)として牛馬の如く売買された。アフリカ大陸の黒人が南北アメリカの植民地に売られ、人間としての権利が認められない状況のもとで酷使された。400年ほど続いた奴隷貿易は、19世紀後半には終りを告げるが、その間1,000万人以上の黒人が売られたと推計されている。
その後、表立った人身売買は姿を消したものの、アングロ・サクソンが行っている経済取引の実態は基本的に変っていない。ヨーロッパ諸国とアメリカ合衆国による、アジア・アフリカ諸国、南アメリカ諸国からの富の収奪の構図は基本的に何ら変っていないのである。15世紀以降に形成されたヨーロッパの富の大半は、これらアフリカ・アジア・南アメリカ等の国々から収奪したものであると称しても過言ではない。
スペイン・ポルトガルにとってかわったイギリスは、ユニオン・ジャックの旗のもと、世界に君臨した。パクス・ブリタニカ(イギリスの平和)の時代である。その後イギリスの立場を引き継いだのが、アメリカ合衆国だ。パクス・アメリカーナ(アメリカの平和)の時代であり、ほどなくこの時代も終焉を迎えようとしている。その跡目を狙っているのが中国である。現在の中国は、社会制度も人々の思考回路も私達と大幅に異なることから、アメリカ以上に危険な存在だ。
ちなみに、パクス(PAX)とは平和(Peace)の意ではあるが、決してその間世界が平和であった訳ではない。かえって、その逆である。この事実は、現在のアメリカが、自国以外の世界各地で理不尽な戦争を仕掛け、世界のどこかで血なまぐさい戦争が繰り返されている現実を確認するだけで十分だ。戦争を仕掛ける政治的な大義名分はおおむね偽りであり、そのウラには必ず、ドロドロとした経済的な損得勘定が横たわっている。
平和とは、中軸国の言いなりになっている限り、即ち、中軸国の収奪を許容する限りは平和を許すということであり、中軸国の意のままにならないとみるや、直ちに敵と見なされ、抹殺されるということだ。パクスとは、軍事力を背景にした強制であり、収奪だ。
かつてのイラクのフセイン大統領、このたび殺害されたアルジャジーラのオサマ・ビン・ラディンなど、もともとアメリカの協力者として行動を共にしていた人物であるが、二人共、経済的利害にかかるアメリカの虎の尾を踏んだために抹殺されたのではないか。自分達の利益の邪魔になる者を排除する、このような問答無用の排除の論理はヤクザの論理と変るところがない。
と喝破された安部譲二氏、炯眼(けいがん)である。(あんぽんたんな日々:第25回 『橋本龍太郎の孤独』参照)
パクス・ブリタニカのイギリスを本家とすれば、パクス・アメリカーナのアメリカ合衆国は分家だ。今や分家が本家を大きく引き離し、世界に君臨するまでになった。つまりこの400年は、パクス・ブリタニカとパクス・アメリカーナの時代であったということだ。
15世紀以降に形成されたヨーロッパの富の大半は、植民地からの収奪によるものであったと同様に、この400年の間に形成されたヨーロッパとアメリカ合衆国の富の大半は、自由貿易という美名のもとに行われた不公正な取引、即ち世界各地の国々からの収奪によるものであったのではないか。戦後、アメリカの尻馬に乗って経済大国になった日本も同類だ。
収奪経済からの脱却こそ、貧しい発展途上国を豊かにする方策であると同時に、先進国に内在する貧困問題を解消する方策だ。
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ここで一句。
(アメリカの経済・文化は水ぶくれ。)
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