400年に一度のチャンス -8

***8.政権交代の意義-政局混迷の実態

 改めて振り返ってみると、この2年の間で、日本では自民党から民主党へと政権が交代した。

 戦後50年の間、ほぼ一貫して自民党が日本の舵取りをしてきたのであるが、この2、30年、自民党政権の腐敗は目を覆いたくなるほどであった。保守王国とされてきた、この島根県はとりわけヒドイもので、会計士という職業柄、いやでも政権政党の腐敗ぶりが目についた。地方議員から国会議員に至るまで、利権あさりに身をやつして税金を食いものにし、民間業者からのワイロは当然のようにやり取りされてきた。アタッシュ・ケースとかダンボール箱に詰め込んだ現金、決して会社の決算書にも載らなければ、政治家の政治資金報告書にも載らない闇の取引だ。

 裏だけではない。表に出されている政治献金もヒドイものであった。法の網をくぐり、いくつかの団体を隠れ蓑にして政治献金をしているのは、公共事業を独占しているヒモ付きの業者であった。実態がワイロであることに変りはない。いわば札つき業者の跋扈(ばっこ)である。

 自前の財源では運営ができず国にオンブにダッコの地方自治体、公共事業関連が最大の産業という生産基盤の弱さ、いきおい大物政治家という名の政治ブローカーがのさばり、我が物顔にふるまってきた現実。

 中央に目を向ければ、小泉純一郎という人物が5年余りもの間、日本国の最高責任者として、日本を好き勝手に操った。一流経済人の顔をした政商とか竹中平蔵という学者もどきの人物を使っては、アメリカの手先のようになって日本社会に大きなダメージを与えたことは記憶に新しい。

 日本の国民は健全であり賢明だ。堪忍袋の緒を切らして、自民党に三下り半をつきつけた。何も民主党がよいという訳ではない。当時の自民党が余りにも悪すぎたのである。

 民主党政権になって一年半。民主党内での内輪モメにつけ込み、野党の自民党は好き勝手なことを言い募っては民主党政権を崩壊させようと懸命だ。夢よもう一度ということであろうが、彼らにとっては夢であるとしても、国民にとっては悪夢だ。願い下げにしてほしい。まさに、政治ブローカーの暗躍、

“政局あって政治なし”

といったところである。これまで半世紀の間、惰性的に続いてきた腐りきった政治の後を引き継いだだけに、民主党政権が巻き込まれているこのような混乱はいたし方のないことかもしれない。

 腐りきった長期政権が抱えていた“ウミ”。その実態が徐々に明らかにされつつあるのが現在の状況であり、その反動として政局が混迷しているのが実態ではないか。
 腐っていたのは政治家だけではない。検察官をはじめとする役人達も腐り切っているのが明らかになったし(「なにを今さら」参照)、大手マスコミも同様だ。記者クラブの実態が明らかにされ、大手マスコミの記者達に、あろうことか官房機密費から裏金が渡されていたことも具体的に公表されるに至った。マスコミも腐っていたのである。このような観点からすれば、政権交代の意義は、50年にも及ぶ自民党政権のウミが、各方面で吹き出し、露(あら)わになることであると言ってよい。
 臭いものに蓋、とばかりに封じ込めてきた積年のウミが一挙に吹き出した。まさに、“五月蝿(さばえ)なす”(古事記、神代)混迷状態だ。ここぞとばかりに騒ぎ立てている野党の自民党と大手マスコミは、さしずめ、自分たちが作り出したウミとその腐臭に群がる“五月のハエ”といったところである。ブンブンと飛び回る嫌われもの、清少納言ならずとも、“愛敬(あいぎょう)なく、にくき物”と言いたくもなってくる。

(この項つづく)

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 ここで一句。

“出来るなら自民時代にやってるよ” -東京、恋しい

 

(毎日新聞、平成22年12月22日付、仲畑流万能川柳より)

(ないものねだり。)

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