400年に一度のチャンス -号外3(経済アナリストと経済学者のオモシロイ対談)

***-経済アナリストと経済学者のオモシロイ対談

 このところ、週刊誌が面白くなってきた。新聞各紙が十年一日のごとく、ピント外れのヨタリ記事でお茶を濁しているのに対して、週刊各誌はそれなりの取材をした上で明解な意見を打ち出しているからだ。

 週刊ポスト、週刊現代、週刊新潮、週刊文春をはじめ、週刊朝日、サンデー毎日の6誌が、私の愛読誌とまでは言えないにしても、折に触れてチェックしている週刊誌である。とりわけ、週刊朝日とサンデー毎日は、これまでそれぞれの新聞本紙の延長のような寝呆けた記事が多かったが、最近は様変わりである。読みたくなるよう記事が多くなったということだ。



 週刊現代にオモシロイ対談が載っていた。”日本経済は破綻する?
経済論戦勝ったのはどっちだ!”という見出しの、 ”森永卓郎VS.池田信夫、激突120分”である。(週刊現代、2011.2.16号)

 この二人、今年の正月のテレビ番組で大激論を交わしたそうで、その議論の決着をつけてもらうための企画だというのである。”天敵同士が再び罵り合い”という、なんともド派手なサブタイトルまでついており、いやが上でも興味をひきつけられてしまう。

 天敵同士とされたこの二人、森永氏は経済アナリスト、池田氏は経済学者だそうである。

 さて、二人の間でどんなバトルが展開されるのか、もともとやじ馬根性の塊(かたまり)のような筆者である。冷やかし半分、覗いてみることにした。

 このバトル、一言で評するとすればオモシロイ。面白い、のではなく、オモシロイのである。
 どうも、○○の一つ覚えのように、経済成長を目指すべしとする点では二人の意見は一致しているものの、金融緩和については正反対らしい。森永氏は金融緩和を拡大すべきだと主張しているのに対して、片や池田氏はすべきでないと口角泡を飛ばしている。
 水と油のようなことを言い合っているこの二人、よく見ると共通していることがある。それは何か。
 二人共、経済学、あるいは経済理論を頑なに信じているらしいことだ。経済理論という法則があって、その法則に従って現実の経済が動いているとでも思っているらしいのである。50年ほど前、経済学のイロハを習び始めた貧乏学生のころを想い出し、懐かしい気持ちになった。初老の域に達しているこの二人、なんとも幸せな人達だ。
 たとえば、貨幣数量説について、こんなやりとりがなされている。

森永 いやいや。通貨供給量が増えれば円安になり、物価も上昇する。教科書的な経済理論でも、物価は通貨供給量に比例して決まることになっているでしょ。
池田 そんな経済理論はありません。物価が中央銀行の供給する通貨の量で決まるという素朴な貨幣数量説は19世紀の理論。
森永 ええっ!? そうなんですか!?

 まるで、ボケとツッコミ、掛け合い漫才だ。先に、オモシロイと評した所以(ゆえん)である。二人共、貨幣数量説が一体どのようなものであるのか、知識として知っているだけで、その基本的な理解に欠けているのではないか。これでは、珍妙な説明をして得意になっている落語の主人公(「税務署なんか恐くない!-4 」参照)と何ら変るところがない。

 貨幣数量説をはじめ、全ての経済理論と称するものは、いわば仮説にすぎない。物理学でいう法則、あるいは理論とは似て非なるものだ。ある時代の、ある国で生じた特定の経済現象を説明しようとするだけのもので、普遍的に妥当するものではない。歴史の教訓と同様に、参考にすることは大切ではあるものの、それ以上のものではないということだ。当たるも八卦、当たらぬも八卦の類(たぐい)と思えばよい。つまり、いくつかの仮定を設定した上で、理屈を組み立てていくと、ある経済現象が起こりうるといった程度のものでしかない。
 アメリカの学者が唱えだし、日本でも蔓延している新自由主義の怪しげな経済理論も同様である。一部の利益集団による一定の意図をもって組み立てられているこの理論、単なる仮説の域を超えて横暴な振舞いに及んでおり、悪質だ。世界経済を意のままに操り、不当な利得を図るために用意された屁理屈でしかない。これについては、稿を改めて詳述する予定である。

 二人とも、戯言(たわごと)を言い合って遊ぶのは結構であるが、記事の最後に記されている池田氏の発言だけはいただけない。

池田 海外投資で資産を逃がしておくとか。円が暴落したら逆に儲かる。今の話は冗談に聞こえるかもしれませんがそうじゃないですよ。先ほど言った最悪のシナリオが、あと何年かで現実になる可能性が高い。

 池田氏は、かつて1ドル120円ほどのときに、

「これからは円安に向かう。これ以上円が高くなることはありません。」

といった、金融マンのいい加減なセールストークに乗せられて、多額の外貨預金をしたり、投機的色彩の濃い為替デリバティブに手を出した人達が、とんでもない含み損を抱えて四苦八苦している現状(*注)をご存じか。
 大学教授の肩書きを持ち、経済学者を名乗るのであれば、自ら責任を持つことができる発言にとどめ、むやみに儲かるとか損をするなど、悪徳商人まがいの言辞を弄すべきではない。

***(注)
 為替デリバティブを保有する中小企業は約1万9千社で約4万件の契約が平成22年9月時点で残っているとされている(金融庁調査)。筆者が最近相談を受けた会社は、ある大手銀行の口車に乗せられてこの為替デリバティブ契約を結んだ結果、約1億円の含み損を抱えるに至り、毎月の決済があるたびにその月に相当する損失が発生していた。仮に1社当り5千万円の損失をこうむっているものとすれば、日本全体で1兆円弱(5千万円×19,000社=9,500億円)の損失を中小企業に与えていることになる。この件に関しては、担当大臣の記者会見の概要が公表されている。(「本業黒字、デリバティブで倒産 こんな中小企業が相次いでいる」参照)

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 ここで一句。

“伸び一つして去っていく通い猫” -東京、河太郎

(毎日新聞、平成23年2月19日付、仲畑流万能川柳より)

(ネコの独白、-“あーあ、今日もメシを食って、あのオジサンを喜ばせてやった。” “メシ食って功徳施すネコもいる”)

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