400年に一度のチャンス -号外(国債の格付けをめぐる空騒ぎ)
- 2011.02.01
- 山根治blog
***-国債の格付けをめぐる空騒ぎ
平成23年1月27日、アメリカの格付け会社スタンダード・アンド・プアーズ(S&P)が日本国債の格付けをAA(ダブルA)からワン・ランク切り下げてAA-(ダブルAマイナス)とした。アメリカとかイギリスは最高のAAA、日本はスペインと同等のAAであったが、このたび一つだけランクを切り下げてお隣の中国と同じAA-になったというのである。論評するに値しない戯言(たわごと)、他愛(たわい)のない井戸端会議における虚言(そらごと)の域を出るものではない。これに比べると、安部譲二氏(“安部譲二氏との出会い – その後1”、“安部譲二氏との出会い – その後2”)の絶妙なコラム、“酒場の戯れ言”に出てくる蛸八主人の寸言の方がはるかに気がきいており、粋である。
ちなみに、安部氏の“戯(ざ)れ言”に対して、私は敢えて“戯言(たわごと)”を用いている。両者は似て非なるものだ。戯(ざ)れ言は、私の理解によれば日本人の美意識の一つである粋(いき)を表現したもので、イギリスのユーモアともフランスのエスプリとも異なる日本独特の笑いである。戯れ言を話芸にまで高めたものが落語であるとすれば、安部氏の“酒場の戯れ言”は筆芸の域にまで達したものだ。安部氏の個性が燻(いぶ)し銀のように滲み出た芸の結晶であって、余人の真似しうるところではない。
それに対して私が使う“戯言(たわごと)”は、「根拠のない、でたらめな言葉」(新明解国語辞典)の謂だ。ユーモアもなければエスプリもない、まして粋など一かけらもないシロモノである。下司(げす)な人間の発する可愛げのない虚言であると言ってよい。
この格付会社なる存在、単に好き勝手なことを言っているだけではない。かつて、紙くず同然の債権を、最高ランクのAAAに偽って格付けした札付きのワルである。不良債権を世界中に売りまくったアングロサクソンの一味であったことを忘れてはいけない。世界中から500兆円もの金を捲き上げ、リーマン・ショックという大混乱に陥れた詐欺集団の仲間だ。不良債権に対して超優良債権の“お墨付き”を与えたことからすれば、むしろ詐欺集団の中核的存在であったと言ってもよい。文字通りの詐話師であり、このたび発表された日本国債の格下げは、“詐話師によるヨタ発言”以外の何ものでもない。
話はこれだけでは終らなかった。記者のぶら下がり会見で発した菅直人首相の言葉が波紋を呼ぶことになった。菅氏が、この格下げについて、
と発言したことから騒ぎが大きくなったのである。ライブドアの時の空騒ぎと同様に、典型的な空騒ぎである。
自民党の谷垣禎一総裁は、
と息巻いた。
自民党の石原伸晃幹事長は、
といつものように幼児性を露わにして毒づいた。
みんなの党の渡辺喜美代表は、
とまで酷評した。格下げという言葉を使うことができて一人で粋がっている。
公明党の山口那津男代表にいたっては、あろうことか国会の代表質問で、
と大上段に振りかぶった。空振りである。
アメリカあたりの詐話師の話を真に受けて、一国の首相の資質までを否定したこれら4人の政治家(政治屋、あるいは政治ブローカーと言うべきか)の発言は、落語とかマンガ世界のものだ。“無知によるヨタ発言”である。
百人一首の中に在原業平が詠んだ
という名歌がある。この和歌をとりあげてトンチンカンな解釈を繰り広げ、得意然としている長屋の隠居、このような愛すべき人物は落語の世界でこそふさわしい。一国の命運を担っている政治家が、落語の主人公になってしまってはシャレにもならない。それこそ石原伸晃氏の言葉を借りれば、日本が“最大不幸社会”になりかねない。政治家の資質が問われるのは、菅首相ではなく、これら4人の政治家であることを銘記すべきである。
菅首相は、これらの批判を受けて、
と釈明したようであるが無用である。このようなインチキ情報(タメにするヨタ発言)は仮に首相の耳に入っていたとしても、切り捨てて無視すればいいだけのことだ。
無知ゆえに詐話師ホリエモンを持ち上げ総選挙に利用した小泉元首相(“ホリエモンと小泉純一郎”)の愚を再び犯すべきではない。
―― ―― ―― ―― ――
ここで一句。
(国会が事業仕分けの対象になったりして。)
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