100年に1度のチャンス -16

『日本の今年の経済成長はマイナスに転落する、しかも最悪で2%のマイナスになるおそれがある、大変なことになった』

- エコノミストを自任している人達の多くは口を揃えて警告を発しています。この人達の言っていることは果して本当なのでしょうか。吟味してみることにいたします。

 まず、経済成長がマイナスに転ずることについては、その意味するところが世界的に用いられているGDP(国内総生産)がマイナスになるということであるならば、その見通しはおそらく正しいでしょう。そのこと自体が誤っている訳ではありません。
 しかし、GDPの成長率がマイナスになることと、日本経済が大変な事態に陥ることとは必ずしもイコールではありません。私はかねてから、何かといえばすぐにGDPを持ち出して、「プラス何%だ、マイナス何%だ」と騒ぎ立てる人達を白々(しらじら)しい思いで見てきました。40年ほどの間企業会計の現場に身を置いてきた実務家として、GDPそのものが経済の実態を必ずしも正確には反映していない、それどころか誤ったメッセージを発する困ったシロモノであることを痛感していたからです。GDPに対する私の考え方についてはもう少し整理した上で公表するつもりですが、ここでは最近のGDPに関する記事を取り上げて、GDPがいかにいい加減なものであるかを指摘するにとどめます。

 平成20年12月25日、内閣府が平成19年度の国民経済計算を発表しています。この発表を受けて、プレスは、

「日本19位、G7で最下位-一人あたりGDP、昨年」

という見出しをつけて、

「07年の日本の名目GDPは4兆3850億ドル。世界全体のGDPに占める割合は24年ぶりに10%を割り込んだ前年(9.0%)より0.9ポイント下がり、8.1%となった。米国に次ぐ世界第2位は確保したものの比率は1971年以来、36年ぶりの低水準で国際的な存在感の低下は鮮明だ。
 一人あたりの名目GDPは34,326ドル。順位はイタリアに抜かれ、前年より一つ落とした。」(日本経済新聞、平成20年12月26日)

と一面で大きく報じています。

 この記事の中には誤っているところが2つあります。
 一つは、世界のGDPに占める割合が8.1%になったことを捉えて、

「36年ぶりの低水準で国際的な存在感の低下は鮮明だ」

と断じていることです。これまでたびたび述べてきましたように、仮にGDPの考え方が正しいとしても名目で比較したのでは実態が明らかにならないからです。実質実効為替レートで計算してみますと、GDPの総額ではアメリカに次いで第2位、一人あたりGDPではアメリカを抜いてG7(ジーセブン、先進7ヶ国)の中で第1位であることは以前と変ってはいないはずです。
 今一つは、一人あたりGDPが

「日本19位、G7で最下位」

とし、国際的な存在感の低下を読者に印象づけようとしていることです。このことが誤っていることについては、前述した実効レートによって考えることのほかに、日本よりはるかに上位に位置しているアイスランドのことを考えてみればいいでしょう。このたびの金融危機に直面して国家破綻に瀕(ひん)している、あの北極圏に近い国のことです。
 アイスランドは、1980年以降常にランキングの上位に位置しています。1994年と1995年の2年だけがそれぞれ11位、13位となっている他は10位以内のランキングをキープし、ことに直近の2005年、2006年、2007年の3年間は第3位に位置している“富裕国”とされています。しかも、2002年以降、2007年までの6年間は日本を上回る“富裕国”なのです。このたび発表された2007年にいたっては一人あたりの稼ぎ(GDP)が64,141ドルと、日本の34,326ドルの実に2倍近くもあった国でした。このようにアイスランドは、30年もの間GDPの上では世界の“富裕国”とされてきたのです。
 そのような国が一瞬にして経済破綻の淵に。明らかに尋常なことではありません。前回述べたトヨタ自動車の例と同様に、この原因は金融危機にあるのではありません。金融危機は国家破綻の契機になっただけのことで、もともとの稼ぎ(GDP)がバブルであり、本当の稼ぎではなかっただけのことなのです。この事実は、アイスランドのGDPそのものが真の国力を示す指標としては疑問であることを雄弁に物語っています。GDP自体がこのような訳の分らないシロモノなのですから、実効レートでの換算以前の問題ということです。

 1853年(嘉永6年)、アメリカのペリー提督が黒船を率いて浦賀にやってきました。時の人々は「大海ヲ竜ノ渡ルカ如シ」と評して、大騒ぎをしたと歴史は語るのですが、その騒ぎには2つの種類があったようです。
 一つは、開府以来すでに250年が経過し、統治能力がとみに低下していた徳川幕藩体制側が慌てふためいたことです。
 今一つは、民衆の反応です。幕府側の危機感を尻目に、珍しいものが来たとばかりに興味津々。幕府が発した禁令を無視して黒船見物がはやり、中には裏日本の福井からわざわざ黒船ツアーに出かけた連中がいたり、浦賀では小舟を用意して見物人を乗せて金を稼ぐ強者(つわもの)まで出るほどだったといいます。

“太平の眠りをさます 蒸気船(上喜撰)、たった四杯で 夜も眠られず”

という狂歌は、幕府の不様(ぶざま)な慌てぶりを笑いとばした強(したた)かな民衆の姿を浮き彫りにしたものと言われています。

 150年前の黒船来航のドタバタと、怪しげなグローバリゼーションを唯々諾々(いいだくだく)として受け入れてアメリカに追随してきた代償ともいうべき、昨今の金融危機騒動。賞味期限どころか、消費期限がとっくに過ぎている自民党政権と、統治能力を既に喪失していた徳川政権とが何故か私の中でオーバーラップするのです。

(この項つづく)

 ―― ―― ―― ―― ――

 ここで一句。

“米国の しのぎにされる 我が日本” -さいたま、高本光政。

 

(毎日新聞、平成21年1月5日号より)

(黒船以来150年、覇権主義のアメリカもそろそろ草臥(くたび)れてきたようで。)

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