粉飾された2兆円 -16

 前々回の終りで触れましたように、私を含む多くの松江市民は、松江市の洪水のためであれば、なにも多額の税金を投入してまで上流に巨大なダムを造ったり、大がかりな放水路を造ったりする必要はなかったのではないかと考えています。これは私が費用対効果分析(B/C分析)の吟味によって明らかにした事実、つまり斐伊川の治水事業として投入できる金額の限度は、費用対効果の基準値を守る限りは、322億円であるということとも符号します(“粉飾された2兆円-12”参照のこと)。つまりは、もともと6,000億円もの巨費を投じてはいけなかったということです。

 何故このようなことがまかり通ってきたのでしょうか。
 昨今、ムダなハコモノ、ムダな道路などの実態が次から次へと暴露され、政・官・業の癒着の連合体が、様々な偽りを駆使して、日本国の資産を食い荒し、あるいは、国債という負債を雪ダルマ式に増やしていく犯罪行為がようやく白日のもとに曝されるようになってきました。役人と政治家とたかりの業者が手を取り合って、国民の目を欺(あざむ)いては日本国を食いものにしてきたということです。国を食い荒す、獅子身中の虫といったところです。
 私が取り上げている斐伊川水系の治水事業も、この類(たぐい)のものと断じて差しつかえありません。

 そもそものきっかけは、昭和47年7月に島根県を襲った大洪水でした。格好の口実ができたとでも考えたのでしょうか、千載一遇のチャンスとばかりに、斐伊川の治水事業がスタートすることになりました。昭和38年に開始された『宍道湖・中海の淡水化干拓事業』も、この時点では終結に向っており、島根県出雲地方では新たな大型公共事業が模索されていた時だったのです。
 島根県は長い間保守王国として知られ、保守勢力にあらざれば県民にあらず、といった風潮が蔓延(まんえん)していました。国会議員だけでなく県会議員、市町村会議員にいたるまで保守勢力が圧倒的多数を押えており、異論をさしはさむことができない空気が支配的でした。一部の勢力が島根県における権益を勝手に弄(もてあそ)び、いわば県政を壟断(ろうだん。うまく利益を独占すること、-広辞苑)していたのです。
 このような政治状況の中で、斐伊川の治水を目的とした大型の公共工事が当時の建設省と島根県によって決定され、実行に移されていきました。
 直接の利害関係のある私達松江市民は、つんぼ桟敷(さじき)に置かれたような状態で、ドサクサまぎれにコトが決められ、進められてきた思いを強くしています。

 治水事業開始から30年経った今、ダムと放水路についてはすでに巨額の公費が投入されており、近いうちに完成する見込みになっています(ダムは平成22年度に、放水路は平成20年代前半に完成見込)。ダムにしても放水路にしても、もともとしなくともいい事業、更にはしてはいけない事業であった(のではないかという)ことについては、すでに費用対効果分析を吟味して明らかにしたところですし、地域住民の多くもしなくともいい事業であったと思っているのですが、今さらダムと放水路の事業を中断することもできないでしょう。すでに巨額の税金がつぎ込まれ、しかも大がかりな環境破壊がなされてしまっているのですから、せめて、その後始末だけはしないといけないでしょう。
 しかし、幸いなことに、大橋川改修事業だけは工事の着手がなされていません。この事業費は30年前に計画されたときには270億円とされていました。平成16年に仕切り直しをして工事内容に大幅な変更を加えた現時点での見込事業費は隠されたままで、公表されてはいません。物価水準だけでなく、工事量自体が大幅に増加していますので270億円を超えることは明らかです。保守勢力の一部から1,000億円とか3,000億円といったトンデモない巨額の数字が漏れてくることについてはすでにたびたび述べた通りです。
 島根県は、数十年の間現在に至るも、県民一人当りの公共投資の額は全国一の県です。国からできるだけ多くの税金を島根県に持ってくることが政治家の役割だと思い込んでいる人達と、公共投資に期待し、それによって生活している人達とのもたれ合いが、全国一となってきた大きな原因です。国まかせ、お上(かみ)まかせの風潮は県民の自助努力と自発的な活動を阻害し、後進県の汚名をいつまでたっても返上することができません。
 私はつねづね、島根県の公共投資額が全国一であることを恥ずかしく思ってきた一人です。今からでも遅くありません。大橋川改修工事は未だ着手されてはいないのですから、無駄なことに税金を濫費して恥の上塗りをすることなく、直ちに中止することを私達地域住民は求めているのです。国の財政が厳しくなっている時でもあります。これ以上の公費のムダ遣いをやめて、国に損害を与え、後世の人達に過大な負担を残すべきではありません。

 島根県民は、必ずしも一部保守勢力の言うがままになってはいません。言うべき時には明確な意思表示をして、間違った施策を変更させてきました。
 その代表例が、昭和57年7月に結成された「宍道湖の水を守る会」による淡水化事業を阻止する住民運動でした。島根大学の保母武彦教授と宍道湖漁協の長岡正一組合長を中軸として結成された超党派の集まりで、私も5人の代表世話人の一人として名を連ね、住民運動の一角を担ってきました。この住民運動は、目的を同じくする多くの団体と手を組んで大きな流れに発展して実を結び、宍道湖と中海の淡水化計画は中止になり、その後表裏一体の事業とされてきた中海本庄工区の干拓事業も中止されることになりました(このときのいきさつについては“亀井静香氏は守旧派か? -1”参照のこと)。
 ムダな公共事業の典型であった、総事業費990億円の“宍道湖・中海淡水化干拓事業”はその完成寸前の段階で中止され、かけがえのない2つの汽水湖(宍道湖と中海)が傷つくことなく後世に残されることになったのです。現時点では、昭和の国引きと言われたこの大型公共事業で不要となった施設のほとんどが取り除かれ、干拓をまぬがれた1,700haに及ぶ本庄の海は元の姿に還ろうとしています。
 全てが終った今、私は目的を失った巨大プロジェクトを阻止するために立ち上った住民運動の一端を担うことができた幸せと、郷土に生きる者として守るべきものを守ることができた喜びを噛みしめているところです。

(この項つづく)

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 ここで一句。

“税務署で 泣き銀行で ホラを吹く” -大阪、藤原詠津子。

 

(毎日新聞、平成20年5月4日号より)

(腹のうちはお見透し。せっかくのパフォーマンスも徒労に終るかも。)

***<今の松江> (平成20年6月11日撮影)
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^cx^大橋川(東本町3丁目)
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^cx^大橋川(東本町3丁目)
^cx^大橋川(松江大橋南詰)
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