粉飾された2兆円 -9
- 2008.06.17
- 山根治blog
国交省がこの治水工事の経済効果(つまり総便益ということです)として公表している2兆658億円が、実際にはありえない架空の数値であることを論証するのに、まず、経験則(経験則。経験的事実に基づいて得られた法則のこと。-広辞苑)に照らしてみます。
斐伊川水系の水害で明治以来最大のものは、昭和47年7月のものでした。流域における2日雨量は356mmに達し、死者12人、家屋の全・半壊114戸、床上・床下浸水24,953戸と島根県政始って以来の大水害でした。このときの被害金額は、斐伊川水系全体で
-134億円
に達しています。(昭和47年水害統計、建設省、P.165)
2日雨量が300mmを超える大雨に見舞われたのは、
-明治26年10月の301mm、
と、この昭和47年7月の356mmだけで、この他には、2日間の降雨量が300mmを超えたケースは明治初年以来一度もありません。明治の初めが1868年で、今年が2008年ですから差し引きして140年の間、300mmを超える大雨と、それに起因する大洪水が起きたのは、この2回だけで、しかも昭和47年7月の大雨が最大のものであるということです。
尚、水害統計は明治8年内務省土木局の統計年報に始まるもので、明治初年(1868年)から同7年までの記録はありませんが、私達は、宍道湖の洪水を抜くために行なわれた佐陀川の開削(清原太兵衛によって1785年着手、1788年完成)以来、明治26年年(1893年)の洪水を上回る大洪水を経験していませんので、明治初年以来と言い切っても差しつかえありません。
つまり、過去の事実として、言えることは、
ということです。
昭和47年の134億円の被害額を最近の物価水準に換算してみますと、
-134億円×2.227倍=298億円
つまり約300億円ということになります。尚、上記の2.227倍の数値は、総合物価指数(水害被害額デフレーター)-『マニュアル』P.105-をもとに計算したものです。
これを踏まえて先に掲げた過去の事実を言い換えてみますと、
となります。これは厳然たる事実であり、経験則であると言えるものです。
前回、国交省が公表している50年間の水害被害額(年便益)の累計(B-3)である2兆658億円から逆算した、年便益(B-2)が961億円であることを示し、これは、
ことを意味することを述べました。過去140年の間で最大の水害による被害額が300億円ですから、961億円といえば、その3.2倍の金額です。
更に、一昨年(平成18年7月)にはこの昭和47年の大洪水以来の洪水に見舞われ、松江市街地は3日以上も水浸しになりました。この時の斐伊川水系全体の水害被害額は83億円(『平成18年度水害統計』)。先に示した961億円はこの11.5倍に相当します。
あるいはまた、平成9年から同18年までの10年間の斐伊川水系全体の水害被害額の合計は390億円(『平成18年度水害統計』)。これまた961億円の2.4倍に相当します。
これらをまとめてみますと次のようになります。
+経験則は、明治初年以来140年の間に一回だけ、300億円規模の水害被害が昭和47年に発生したことを示しているにも拘らず、その被害額の3.2倍以上の水害が”毎年“発生するということですし、
+一昨年の水害は1.の大水害以来34年ぶりに大きな被害を与えたものですが、この時の被害額の11.5倍以上の水害が“毎年”発生するということですし、
+直近の10年間の斐伊川水系全体の累積被害額の2.4倍以上の水害が“毎年”発生するということです。
これは一体どういうことなのでしょうか。これ以上説明するまでもなく、これら3つのことは、
ことです。
このことはとりもなおさず、年便益(B-2)961億円を逆算した元の数字である2兆658億円の総便益が全くの絵空事であり、架空の数字であることを意味しています。
―― ―― ―― ―― ――
ここで一句。
(スピリチュアル大ハヤリ。そのうちスピリチュアル猫とかスピリチュアル猿が出てきてもっともらしいことを喋ったりして。)
***<今の松江> (平成20年6月1日撮影)
<左:堀川(北田町)> <右:堀川(北堀町)>
<左:堀川(北堀町)> <右:堀川(北堀町)>
-
前の記事
粉飾された2兆円 -8 2008.06.10
-
次の記事
粉飾された2兆円 -10 2008.06.24