ライブドア監査人の逮捕 2

 田中慎一会計士は、その著書「ライブドア監査人の告白」の中で、
“私は港陽監査法人の解散のときをもって、1998年から保有してきた公認会計士の資格を返上することにした。弁護士の先生や南検事からは「なにも資格を捨てることはないんじゃないですか」と言われたのだが、自分なりのケジメをつけなければいけないと考えたので、供述調書にも「ライブドア事件を契機に公認会計士の職に終止符を打つことにした」という文言を入れてもらった。”(同書、P.214)
と述べ、その理由として、

“自分がやってきたプロセスや妥当性はどうであれ、自分が事件を未然に防げなかったという事実は重い。結局は、公認会計士としての責任を全うできなかったわけだから、公認会計士を名乗る資格はもはやない。”(同書、P.214)

と、一見するとカッコのいい、潔(いさぎよ)い姿勢を示していました。
 さらに「あとがき」の中で、

“本文にも触れていますが、私はこの事件を契機に公認会計士の資格を返上することにしました。事件を未然に防げなかったという事実を重く受け止めたことがその理由ですが、同時に、起業することが前職をやめたきっかけだっただけに、私にとっては今回の事件が「もう会計士を辞めろ」というメッセージに聞えてなりませんでした。”(同書、P.232)

と、繰り返し述べて念を押しています。

 心機一転、あるいはこのような生き方もあるだろうとは思いながらも、私の心には何かひっかかるものが残っていました。この本自体が事件の捜査と裁判が進行中に書かれていること、しかもその内容たるや、会計士としては法律によって禁じられている秘密の暴露(職務上で知ることのできた秘密に限られますが)のオン・パレードで、ライブドアの経営陣とか他の監査人の非を論(あげつら)い、他人を非難することによって自己弁護、つまり自己の正当化を図っているものでしたので、私の中では、「潔く会計士を辞める」という文言がカラカラと空回りをし、気持ちの中にシコリとして残っていたのです。
 このようなこと以上に、私の中に強烈な違和感として残っていることがありました。それは田中会計士が随所で明言している検察当局への卑屈なまでの迎合姿勢です。
 田中会計士は、ライブドアに強制捜査が入ってから4日目の1月19日に、ヤメ検(検事出身の弁護士)である中村信雄弁護士に会い、弁護人の依頼をしています。
 そのときの中村弁護士の話として次のようなことが記されています。

“キャッツやカネボウの事件では担当会計士が逮捕されたが、これらのケースでは会計士が当局の捜査に対して協力しなかったと言われている。キャッツのケースでは、会計士がクライアントとの守秘義務を盾に終始黙秘を貫いた。カネボウのケースでは、当局による任意事情聴取の要請を会計士が拒否したという噂だ。このような非協力的な姿勢は当局を刺激することになり、結局、最後は「捕まえろ」ということになるのだという。”(前掲書、P.25)

 田中会計士は、更に続けて、

“だから、今回の事件を過去の事例に照らして考えた場合、捜査当局が我々を逮捕するという事件のシナリオを作り上げることはやさしいことなのだそうだ。中村先生からは、とにかく捜査当局を刺激しないように注意するようアドバイスを受けた。”(前掲書、P.25)

と、述べ、

“どんなに歯がゆかろうが、当面できることと言えば当局の捜査に全面協力するだけということだ。”(前掲書、P.27)

と、検察当局への全面的協力姿勢を明言しています。
 しかも、この全面的協力の意味するところについて、

“入谷検事が言っていた「捜査に協力してくれたら」という言葉の意味は、事情聴取に対して真実を語るのはもちろんのこと、そのような形で捜査を妨害しないこと、そしてときには捜査当局の描くシナリオに乗らなければいけないということだ、と中村先生に教えてもらった。”(前掲書、P.26)

と、にわかには信じ難いことを平然として明らかにしています。
 ここで言われている「捜査当局の描くシナリオ」とは、文脈の上から、

“ときには事実を捻じ曲げてでも事件のシナリオを”作り上げる“ということ”(前掲書、P.25)

を意味しています。
 ここには、公認会計士の守秘義務に対する配慮が欠落しているだけではありません。事実に反することであっても積極的に証言すると言い切っているのですから、何をか言わんや、会計士の倫理以前の問題です。

 田中慎一氏は、自分が逮捕されるかどうか、刑事訴追されるかどうかのギリギリの瀬戸際に直面していましたので、他人が軽々しく批判することなどはできないでしょう。しかし、自分の逮捕、あるいは刑事訴追を免れるためならば、どんなことをしてもいいのでしょうか。私はそうは思いません。真実ではない、デッチ上げのシナリオを、事件の核心を知る立場にある監査人が偽って証言することは、他の監査人である会計士とか、堀江貴文氏を含むライブドアの役員が不当に処罰されることに直結するからです。私は、堀江貴文氏とか、他の監査人を擁護するつもりはありませんが、どのような人であれ刑事罰を問うならば真実のみをもって裁くべきであり、デッチ上げの部分が混入しているシナリオによって裁くべきではないと考えます。私自身、12年前に広島国税局と松江地検によって架空の事件をデッチ上げられて、逮捕、訴追された苦(にが)い経験がありますので、肌身にしみて痛感しています。国税と検察とが事実をねじ曲げてデッチ上げたストーリーを追認し、卑屈なまでに当局の言いなりになっている供述調書が、次から次へと松江刑務所拘置監の独房の中へ差し入れられた時、胃に穴があくような思いだったことを昨日のことのように想い出すのです。(“冤罪を創る人々 (9) 検察側証拠開示”)

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 ここで一句。

“よく見ると まだまだネタを 秘めた妻” -久喜、高橋春雄。

 

(毎日新聞、平成20年1月31日号より)

(オンナの直観力、とてもオトコの及ぶとことではない? 世の亭主族に告げる、無駄な抵抗はやめよ。)

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