裏口上場 2

 27年前に実際に行なわれた裏口上場については後日談があります。

 表舞台で動いたのは、社長役を引き受けた一人の公認会計士でしたが、裏口上場のはじめから終りまでの怪しげなシナリオを描き実行に移したのは別の人物で、世間知らずの会計士をうまく手玉に取ったといった図式です。会計士にしても、わずかばかりの金に目がくらんで、片棒をかつがされたといったところでしょうか。

 この影の人物は、A氏。東京大学法学部出身の、私と同世代の男でした。大学卒業後、メーカー勤務を経て、大手証券会社に入社。この証券会社は、当時日本の証券業界に君臨し、あからさまな株価操縦を行なっては証券業界を壟断(ろうだん。利益を一人占めにすること)するばかりか、株式を活用した裏金を提供することで政治家を手なづけ、政界にも強い影響力を持っていました。
 株価操縦によって儲ける者がいるということは、必ず損をする者がいるということを意味します。この場合、儲ける者は、まずこの大手証券会社とその系列証券会社であり、次に、特別顧客といわれていた大口資産家とか政治家であり、便乗する証券会社社員でした。証券マンの手張り(てばり。自分のために株の売買をすること)は禁じられていたのですが、何でもありの業界のことでしたからそのようなタテマエなど何のその、儲けるが勝ちという感覚が一般でした。イカサマ賭博そのものが証券業界全体で組織的になされていたといっていいでしょう。
 一方、株価操縦によって損をする人達は、株価操縦というイカサマを知る立場にない人達です。つまり、一般投資家という名の小金(こがね)を持っている人達のことです。証券セールスの中には、この人達を3つにランク分けていた不埒(ふらち)な連中がいました。曰く、
+資金1,000万円以下の人を「ゴミ」と呼び、
+資金1,000万円~5,000万円までの人を「カモ」と呼び、
+資金1億円前後の人を「客人」と呼んでいたのです。
 これら、3つのランクの上に特別扱いの顧客がいるという訳です。
 1.の「ゴミ」と、2.の「カモ」は、お金を貢ぐだけの役割の人達で、お客の扱いをしていないということです。3.の「客人」は一応顧客の扱いはするものの、玉(ぎょく。株式のことです)を売ったり買ったりさせてテキトウに遊ばせて、一年か二年のうちにお金を使い果たさせてしまう、というものです。
 当時、証券会社を侮蔑の意味を込めて株屋と呼びならわしていたのは、あるいはこのような実態がなんとなく知れ渡っていたからかもしれませんね。

 そこで、大手証券マンであったA氏。自らの株屋人生に見切りをつけたのでしょうか、勝負に出て、一攫千金を企てました。
 A氏が考え、実行に移した犯罪の絵図は次のようなものです。
+まず準備として、倒産寸前のW社に、累積赤字解消を理由にして大幅な減資をさせる。
+次に、W社支援を名目として、額面による第三者割当増資をさせて、自らが引き受ける。オーナー的立場の獲得。
+インチキの舞台となる、もっともらしい会社の営業を引き受けて、裏口上場を実現。
+カモフラージュのために、早い段階で公認会計士を社長にすえつける。
+配下の者達を使って、架空売上(この場合は、押込み販売)を繰り返し、W社が高収益会社にヘンシンしたことを演出。
+大手証券の信用と威光をバックに、株式新聞、経済誌にちょうちん記事を書かせて、株価のアオリ行為を行なう。
+株価をあおりにあおって、ちょうちん買いを誘い、頃合いを見計らって、2.の第三者割当増資で得た手持株を売却し、利益を確保する。
 私の記事が公表されてからしばらくして、A氏は30億円の資金を手にして日本から逃亡し、香港に身を潜めているという情報が入ってきました。大バクチの手仕舞いをして、大金を手に入れ、事件のホトボリをさますために雲隠れしたのでしょう。バクチの手段とされた東証二部上場のW社の株価は、スッ高値に飛んだ後に暴落し、多くの被害者を出したのですが、結局、事件として立件されることはありませんでした。

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 ここで一句。

“秋葉原 女中といって なぐられる” -市川、真野滋哉。

 

(毎日新聞、平成19年11月8日号より)

(かつての電気街から、今やオタク族のメッカの観を呈している秋葉原。“お女中といってもオタクに嘖(ころ)はられ”。-万葉オタク。)

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