184 碩学の警鐘 -1

***その1)

 平成19年7月29日、参院選において自民党は歴史的な敗北を喫した。その選挙結果について、一人の経済学者が地元紙に寄稿。「自民惨敗の参院選に思う」と題する一文だ(平成19年8月9日付、山陰中央新報)。寄稿したのは米子市出身の経済学者であり、世界的に著名な宇沢弘文氏である。1928年生まれの宇沢氏は当年79歳、10年前に文化勲章を受章している東京大学名誉教授である。理論経済学における日本の至宝とも称すべき碩学(せきがく)だ。

 新聞への寄稿文という性格から、字数にしてわずか1500字足らずの小論文であり、一般読者に向けて分かり易い言葉で記されている。簡にして要を得たもので、できれば全文を引用したいほどである。

 宇沢氏はまず、現在の日本は戦後最大の危機を迎えているとし、その現況は暗い、救いのない状況と認識。そのような危機的状況をもたらしたものは、思想的原点を市場原理主義におく小泉改革であったと喝破。その結果、格差の拡大、社会の非倫理化、社会的紐帯(ちゅうたい)の解体、そして人間的関係自体の崩壊をもたらしたと分析する。
 宇沢氏によれば、小泉改革の思想的原点である市場原理主義とは、

“簡単にいってしまうと、もうけることを人生最大の目的として、倫理的、社会的、人間的な営為を軽んずる生きざまを良しとする考え方である。”

 このような現状認識をふまえて宇沢氏は、今回の参院選の真の争点は、

“小泉改革がもたらした日本のこの暗い、救いのない現状をみて、小泉改革を継承すると言ってきた安部首相をどう評価するか”

にあったと考え、自民党惨敗の結果は、

“国民が良識をもって、グローバリズムの旗印を掲げた小泉改革を継承しようとする安部首相に対して明確な拒否意思を示したものである”

と結論づける。つまり、

”この暗い、救いのない状況の下で行われた参院選の結果は、国民の多くが望んでいるのは、市場原理主義的な改革ではなく、一人一人の市民の心といのちを大切にして、すべての人々が人間らしい生活を営むことができるような、真の意味におけるゆたかな社会だということをはっきり示したものである。“

と結んでいる。その上で宇沢氏は

“日本の将来に明るい光を見いだせるようになった。”

と、愁眉(しゅうび)を開くのである。

 宇沢氏は当代一流の経済学者である。日本の経済学者の多くが、いまだ欧米の学者の亜流に甘んじているのとは訳が違う。マスコミに媚を売ったり、権力にすり寄っては学問の切り売りをするような似而非(えせ)学者とも明確に一線を画している。つまり、曲学阿世(きょくがくあせい。学を曲げ世に阿(おもね)る者。学者としての良心を曲げてまで、為政者や大衆の御機嫌取りにうき身をやつす、当世風の学者-新明解国語辞典)の一員ではない。日本の経済学の分野で碩学の名に値する数少ない学者であると同時に、その学識をベースにして現代文明を分析し鋭い批判を投げかける、秀れたクリティークとしても著名だ。
 理論経済学の視点からなされた、このたびの小論文は、KY(空気が読めない)と揶揄(やゆ)されている安部首相に対する強烈なカウンターパンチである。日本におけるほとんどの経済学者が、アメリカの掲げるグローバル・スタンダード(市場原理主義、マーケット・ファンダメンタリズムと表裏一体のもの)を無批判的に受け入れ、結果としてグローバル・スタンダードという名のアメリカン・スタンダードの旗振役に堕している中にあって、宇沢氏の意見は貴重である。

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