冤罪の構図 -11

 11年前に中島行博検事が私を前にして言い放ったなんとも信じ難い言葉、
『検察は時に法律の定めを超えて動く。司法の中にとどまるのではなく、立法的な機能を果さなければならないことがある』
 これを、はじめて聴いたときには何のことかよく分かりませんでした。私は納得できないことはそのままにせずに、トコトン問い質(ただ)すことにしていますので、この時も中島検事に「立法的な機能」とは何か、その真意について質したのです。

すると、そんなことは当り前だとばかりに、無知な子供に教え諭(さと)すように、次のような説明を加えてくれました。

『一つ一つを見るとなるほど合法であるが、全体として見た場合にはどこかおかしい。歪(ゆが)んでいる。このようなことは、社会的公正、あるいは社会的正義からして許されることではない。その歪みを正すのが検察の役割だ。つまり、法律以前に社会規範というものがあって、それを踏み外すようなことは許されない。そこで法の適用にあたっては、社会規範に合わせるように法文の解釈を行なうことになる。法律をつくること自体は検察にはできないが、しかし、法文の解釈を広げることによって、新しい法律をつくるのと同じようなことができるということだ。立法的な機能というのは、まあ、そういうことだ。』

 11年前、松江刑務所の取調室で、中島検事は怪しげな自論を堂々と展開し、私をねじふせようとしました。私は法律の専門家ではありませんが、若いころ少しの間法律書をかじったことがありますので、中島検事の言っていることがなんとなくおかしいことに気付きました。猫の目のようにクルクルと変わる税法をはじめとする経済法ならばともかく、刑法の基本が変わっているはずがありません。ましてや、罪刑法定主義(ざいけいほうていしゅぎ。いかなる行為が犯罪であるか、その犯罪にいかなる刑罰を加えるかは、あらかじめ法律によって定められていなければならないとする主義。-広辞苑)を高らかに掲げる日本国憲法が改正されたりしてもいないのです。
 国税のマルサと検察の創り上げたインチキ・ストーリーを押しつけ、検察の意に沿うような自白をしない限り保釈を認めないと言い放つ中島検事、その露骨な言辞を馬耳東風と聴き流している私に対して、中島検事は、40日間にわたってあの手この手で脅し上げ、嘘の自白を迫ってきたのです。このとき痛感したのは、どのようなことであろうとも、一時期真剣に勉強したことは決して無駄にはならないということでした。細かいことは忘れてしまっていても、中核となる芯とでも言えるものが頭の隅に残っているのでしょうね。

 昭和47年10月、30歳の私は、名古屋で会計士の見習い(会計士補ということです)を中断し、浪人生活に入りました。司法試験の受験のためでした。監査の仕事に嫌気がさしていたのに加えて、刑事弁護士になろうと思ったからです。次の年の試験まで8ヶ月、集中して勉強すればなんとかなると考えてスタート。会計士試験のとき、大学院を中退して受験勉強した期間が8ヶ月でしたので、司法試験でも同様であろうと見定めたのです。
 大学入試とか会計士試験のときと違って、アルバイトは全くせずに全ての時間を受験勉強に注入することに。若干の貯金と失業保険とでギリギリ試験日まで食いつないでいくつもりでした。
 ところが、受験日まで2ヶ月を切ったころ、生活資金が尽きてしまいました。子供2人を抱えた一家四人の生活ができなくなってしまったのです。当時のお金で50万円、融通してもらうために二人の知人に頼み込んだのですが、断られ、やむなく受験を断念、新たな職場を求めて京都に移住しました。
 このように、司法試験の受験は中途で挫折したのですが、6ヶ月の間法律の勉強に没頭できたことはその後の私に少なからぬプラスをもたらしてくれました。
 その最大のものは、11年前に逮捕されて密室で検事に翻弄されながらも、なんとか踏み止まり、自分を見失うことなく対応できたことでした。

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 ここで一句。

“官邸から漏れる赤城の困り歌” -名古屋市、朝倉義博。

(朝日新聞、平成19年7月13日付、朝日川柳より)

(遅すぎた更迭(こうてつ)。コドモ仲間からの村八分。私の子供の頃、仲間外しを意味する永久(えいきゅう)という言葉はなんとも恐ろしい響きを持っていました。)

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