冤罪の構図 -8
- 2007.07.17
- 山根治blog
東京地検特捜部が描いたシナリオは、次のようなものでした。
“日興証券は新井氏自身の要求に基づいて1995年10月から1997年4月までの一年半の間に四千万円を利益提供した。そのうち二千九百万円分の利益の付け替えが、証券取引法違反にあたる不正なものである。まず日興証券を不正利益供与罪で摘発・立件し、新井氏を利益要求罪で立件に持ち込む。”
利益の『付け替え』については、新井氏自身次のように記しています。
(“新井将敬と日興証券との会話記録”より)
これは、不正と決めつけられた『付け替え』取引についての新井氏の率直な認識を示しています。この認識は、平成9年6月14日から同年8月31日の間に、新井氏と濱平裕行氏(元日興証券常務)、平石弓夫氏(元日興証券副社長)との間で交された会話記録によってサポートされているものです。
当時、日興証券だけでなく、ほとんどの証券会社が、特別な顧客へのサービス、つまり営業の一環と考えていたのがこの付け替え取引でした。違法なものだとは全く思ってもみないことだったのです。
このように、新井氏はもとより、日興証券の側も違法な取引きであるとは夢にも思っていなかったことが、何故不正と決めつけられ断罪されるに至ったのでしょうか。
この裏には、まさに犯罪のデッチ上げという驚くべき工作が、東京地検によってなされていたのです。事実とは異なる勝手なシナリオが創り上げられ、それに沿って関係者の証言を誘導していく、それこそヤメ検弁護士である田中森一氏がノーテンキなまでに赤裸々に暴露した、不正な捜査方法が、ここでも実行に移されていたということです。
……
最初からタガをはめて、現実の捜査段階で違う事実が出てきても、それを伏せ、タガ通りの事件にしてしまう。“(田中森一「反転」、P.178~P.179)
社会正義の砦(とりで)とされている検察の生々しい現実が、なんともストレートに分かり易くぶちまけられていますね。これは、一人の元検事が古巣によって自ら逮捕起訴された腹いせに暴露したとも、あるいはヤケクソになって喋ったとも言えるでしょう。しかしもちろん、不心得な元検事による単なる腹いせとかヤケクソにとどまるものではありません。私自身の経験に照らしても、現代日本における検察捜査の腐敗した実態の一端が正確に描写されているのです。
11年前、私は国税と検察によって捏造された脱税の嫌疑によって、逮捕・訴追され、身をもって検察によるインチキぶりを体験し、半殺しの目に逢っています。脅したり、すかしたり、騙したり、-とにかくナンデモありといった検察捜査の実態を、心身共にボロボロになりながら体験しているのです(詳細については“冤罪を創る人々“をご覧下さい)。
松江地検が広島国税局とグルになって、インチキの限りを尽して私を断罪したように、秀れた政治家であった新井将敬氏を陥(おとしい)れるために、東京地検はトンデモないことをしました。文字通り、犯罪の捏造であり、小細工を弄して冤罪をデッチ上げ、マスコミとグルになって、政治家には稀なほど誠実に生き抜いてきた一人の政治家を死に追いやったのです。
―― ―― ―― ―― ――
ここで一句。
(“うさばらしに「美しい国」考”と題して投稿された、八首のうちの一首。岡崎先生は医師にして卓越したクリティーク。晩年の鴎外が掘り起こした医儒を連想。年に一、二回の投稿、朝日紙面の中では私にとってほとんど唯一の読みもの。)
【追記】
「冤罪を創る人々」と「経済事件ノート」は、諸般の事情により公開を中断していましたが、本日をもって再公開することにいたしました。
その理由としていくつかの事情が挙げられますが、中でも大きいのは、先週の7月11日に言い渡された、キャッツ粉飾決算事件の第二審判決です。当然、逆転無罪になるものとばかり考えていましたが、結果は控訴棄却。第一審と同様、細野祐二公認会計士による無実の訴えが、裁判官の耳に届くことはありませんでした(キャッツ粉飾決算事件については「続・いじめの構図 -7」を参照)。
無責任極まりない訴追・裁判制度のもとで、明らかに冤罪であることが、事実上、何のチェックも受けることなく野放しにされている現状は、訴追システムの制度疲労を端的に示していると同時に、暴力装置の頂点に君臨する検事たちと、事なかれ主義に堕している裁判官たちのモラル・ハザード(倫理観の欠如)を示していますので、自ら経験した生々しい冤罪の実態を公にすることによって、改めて世の識者に訴えることにいたします。