飯塚事件について -その5
- 2006.12.08
- 山根治blog
コメントNo.1273の「四年寝太郎」殿へ。
会計士の試験に限ったことではありませんが、日本における試験なるもの、必ずしもその分野における適性だとか能力を判定するのにふさわしいものとは言えないようです。
たとえば、キャリアと称する公務員の中で公僕意識を持ち合わせている人物など探すのに苦労するほどですし、医学の知識とか医療技術をほとんど持ち合わせていないヤブ医者以前の医者も結構いるようです。
法曹三者といわれる裁判官、検事、弁護士の中には、法律家である以前に、人間性とか一般常識をどこかに置き忘れてきたような人物が少なからずいるのも広く知れ渡っていますし、驚いたことに、義務教育レベルの作文さえ書けない弁護士とか検事が存在しているのも事実です。
公認会計士も決して例外ではありません。決算書さえまともに作成できない会計士がいることも事実ですが、これなどシャレにもなりません。
そうは言っても、それぞれの専門職につくためには、もっともらしい試験、しかも欠陥を多く抱えた試験を乗り越えなければならないのが日本の現実です。いわば必要悪としての試験を克服することがスタートとなっている以上、どのようにして“障害”をクリアするのか、各人が工夫していくことになります。
従って、あなたのおっしゃるように、『勉強の仕方』については今一度ご検討なさるのもいいでしょうが、『適性』とか『能力』など余りお考えになる必要はないと考えます。自分が本当にやりたい仕事こそ『適性』であると信じ、それをやり抜こうとする気持ちこそ、『能力』であるとお考えになったらいかがでしょうか。
私は、若いときに出会った、イマニュエル・カントの『必要なことは可能である』という言葉を座右の銘としてきました。逆の命題である『可能でないことは必要なことではない』というのも真実であると信じています。今から50年ほど前、商業高校2年生の時、突如として方向転換を行ない、思ってもみなかった大学進学を目指したのですが、私を支えてくれたのがこのカントの言葉でした。
あなたは現在29才とのこと、これから更に豊かな人生があなたを待っているはずです。私は何が何でも会計士試験を目指したらどうか、とまでは言いませんが、『この試験の引き際かもしれない』とか『そろそろ自分の限界を覚えています』とご自身で決めつけたりなさることはない、と考えます。
たかが試験、されど試験、くらいにお考えになって、しばらく、ぶらりと旅行でもして、頭を空にしてみられたらいかがでしょうか。敢えてムダな時を過すのもいいものですよ。Good Luck!
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ここで一句。
(私を含めた多くの人の実感かもしれませんね。ファウスト曰く、“迷うからこそ人生だ”)
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