ゲームとしての犯罪 -号外3
- 2006.07.11
- 山根治blog
コメント[1075] shige殿へ。「武部さんがおっしゃるようにいくら刑に服しても、やり直しが出来る世の中になって欲しいと、私はそれに賛成です。堀江さんだけではない、他の人も何かの形で刑に引っかかり、服役したとしてもその人がやり直しをしょうとか、改めようと思ったときに回りの受け入れがすごく大切なのではと思います。」 私はあなたの上記のお考えに賛成します。いや、賛成するどころではありません。私自身、まさに“何かの形で刑に引っかかり”、現在も制裁を受けている最中であり、他人事ではないからです。
私は10年前、冤罪事件によって逮捕されました。291日間もの間拘置所に閉じ込められ、刑事被告人の汚名を着せられて、以後7年間に及ぶ刑事裁判を余儀なくされたのです。冤罪事件の中核的な部分については無罪を勝ちとったものの、別件とされた一部については懲役一年六ヶ月、執行猶予三年の刑が確定し、これによって長年慣れ親しんできた公認会計士の称号が使えなくなりました。この秋には執行猶予期間の三年が経過しますので、再び登録をして公認会計士を名乗ることができるようになるでしょうが、現時点では、法律的には「公認会計士有資格者」であるにすぎません。現実に、私は制裁を受けているのです。
この10年の間、私は、家族をはじめ、少なからぬ人々に支えられてきました。まさに、生かされているということを肌で感じた10年でした。このような私ですから、あなたのご意見に異存などあるはずがありません。何回でもやり直しができる社会、この日本は、そのような社会であって欲しいと心から願っています。
堀江貴文氏とか、昨今マスコミからは守銭奴として集中砲火を浴びている村上世彰氏は、もともと秀れた少年であり、青年であったものと思われます。
何がこの二人を拝金主義の権化のような存在に変えたのでしょうか。私は、ズバリお金であると考えています。
考えてみれば、お金というものは実に不可思議なものです。太古の昔、人類が共同生活を始めてからしばらくして自然発生的に生まれたものがお金です。共同生活は必然的に分業のしくみを生み出すことになり、この分業体制をよりスムーズに維持していく便利な手段がお金でした。
ところが、このお金がひとたび流通のルートから外れ、蓄積されるようになってきますと、富として意識されるようになります。つまり、人々の認識の変化とともに、お金自身がヘンシンするのです。
富として蓄積されヘンシンしたお金は、もともと人間が生み出したものであるにもかかわらず、人々に多大な影響を与えワルサをするようになります。政治、経済はもちろんのこと、人々の性格とか心にまで影響を与えるのです。カルト教団が、マインドコントロールによって人々を洗脳するようなものです。
古代ギリシャの昔から、多くの人々が、この摩訶不思議な存在であるお金に注目し、様々な観点から分析し、意見を述べてきました。
近いところではマルクスもその一人です。マルクスは「資本論(Das Kapital)」を著わし、真正面からお金(Geld、ゲルト)に取り組み、お金がどのようにして資本(Kapital、カピタル)に転化していくのか解明しようとしました。
ケインズは、有名な「一般理論」の他に、「貨幣論」(A Treatise on money)という大著を著わし、お金と格闘しています。
日本においても、江戸時代に三浦梅園が「価原」を著わしお金について論じていますし、本居宣長も「玉くしげ」においてお金の分析を試みています。
これら4人の学者は、お金の一部分を捉えてはいるのですが、どうもお金の全体像を把握するには至っていないようです。テキもさるもの、スルリスルリと身をかわしては逃げ回っているのです。
このことは、最近の経済学、あるいは金融論においても同様で、いまだ誰もお金の正体を的確につかんではいないようです。
40年前、大学でスミス、ケインズ、シュンペーターを習び、大学院で金融論を学んだものの挫折し、会計実務の世界に転じた私ですが、三年前に公認会計士の登録が抹消されたのを機に、奇しくも“認知会計”のアイデアが浮んできました。この認知会計こそ、企業戦略の有力な手段になると同時に、お金の正体に迫る効果的な武器にもなりうるとひそかに考えています。
お金の正体(Geld an-sich、ゲルト・アンジッヒ) - 私も、多くの先人の跡を辿りながら、会計学と会計実務の分野からこのお金という不思議な存在に迫り、格闘している最中です。現在のところは、ようやくお金の尻尾の先を掴んだくらいのところでしょうか。
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ここで一句。
(地獄の沙汰もカネ次第。“ハイ チップ、三途の河の渡し守”)
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