150 おぞいもん -2

****その2)

出雲弁の「おぞいもん」は、「おぞい」+「もん」である。「もん」というのは、「もの」の音便だ。若いもん(若い者)、うまいもん(うまいもの)、甘いもん(甘いもの)、などと使われており、出雲弁特有のものではない。



「おぞい」はどうか。我が家で一番大きな国語辞典(日本国語大辞典、小学館刊)で調べてみたところ、『おぞ・い(悍)』と出ており、2つ目の意味合いとして、恐ろしい、こわいとあった。用例として、源氏物語とか天草本平家物語などから引用されている。

奈良時代はどうなのか気になったので、万葉集に限って調べてみた。折にふれてページをめくっては遊んでいる「萬葉集總索引、正宗敦夫編。平凡社刊」にあたってみたところ、万葉集の中には「おぞい」、あるいは「おぞし」「おずし」「おず」の用例は一つもないようである。
おそらくは奈良時代以前にも使われていたであろうが、現在のところ文献として残っているものは、平安時代からのものであろう。それにしても、出雲弁として日常使われている「おぞい」という言葉はレッキとした古代語なのである。
かつて万葉集と日本書紀とを親しく教えていただいた朴炳植(パク・ビョンシク)先生は、つねづね

“地名とか方言は、タイム・カプセルのようなもので、多くの情報を内に秘めている。”

と、おっしゃっていた。
たしかに、わが出雲弁は、かなり多くの古代語だけでなく、中世、近世と、それぞれの時代の言葉を豊かに残している。読書を通じて私が古い時代に遊ぶことができるのは、あるいは、古い時代の言葉をしっかりと残している出雲弁のおかげではないかとさえ思っている。一つでも実感できる言葉があれば、それを手がかりにして作品の中にスンナリと没入することができるからである。
尚、「おぞい」を恐ろしいとか怖いという意味で使っているのは、出雲地方だけでなく、全国各地に広がっているようだ。各地で使われているのには、それなりの歴史的な背景があったであろうし、その経緯についてあれこれと空想の輪を広げてみるだけでも楽しいものである。

今昔物語の中に、あろうことか、猫が怖くてしかたがない男の話が出てくる。猫が「おぞい」のである。私のような猫大好き人間にとっては、とても信じがたいことだ。
男の名前は、藤原清廉(きよかど)、平安時代中期を、77歳まで生き抜いた実在の人物である。山城、大和、伊賀の三ヶ国にわたって多くの領地を持っている『器量の徳人』(いかめしのとくにん。大変な資産家)であったが、官物(かんもつ。納めるべき租税としての米)を納めたことがない。ケチなのである。いくら督促されても、ノラリクラリと言を左右にして逃げている。叙爵されている身分をカサにきて、税を逃れようとする、なんともしたたかな人物であった。
いざとなれば、東大寺にでも領地を寄進したことにすればよい、木っ端役人の国司ごときに手出しなどさせるものかと、心の中で嘯いている、まことにもって食えないオヤジである。現代の日本において、宗教法人を隠れ蓑にして税逃れを企んでいる連中とかわるところがない。
ところが、税を取り立てる国司のほうが、役者としては一枚上手であった。国司の名は、藤原輔公(すけきみ)、奇策をもって税を完納させてしまったのである。

 

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