142 房内放送 -その3
- 2006.02.21
- 引かれ者の小唄
****3)その3
就寝時刻の夜9時までの3時間、房内放送のプログラムはかなりバラエティにとんでいた。その日のニュースの他、漫才、落語、講談、浪曲に加えて、テレビ小説と称する朗読等が流された。
講談と浪曲は、50年以上も昔の小中学生のころに、祖母と一緒に楽しんだ想い出があるくらいで、その後ほとんど耳にすることがなかった。
その頃我が家にあったのは、小さな真空管式のラジオだけで、NHKの第一放送と第二放送とが辛うじて聞き取れるくらいの安物であった。一台のラジオを囲むようにして、祖母と二人でワクワクしながら講談を聴き、浪曲に耳を傾けた。
私にはおばあさんと呼べる人が三人あった。父方、母方のそれぞれと、父と母とが夫婦(めおと)養子に行った山根家の祖母である。
血の継がりはなかったが、育ての親ならぬ育ての祖母は、祖父と共に私を無条件の愛で包んで下さった。
ここで私が、身内である祖母に対して、敢えて敬語的表現を使ったことをお許しいただきたい。私の素直な気持を表わすには、このようにするしかないのである。
新井白石の晩年の著述に「折たく柴の記」がある。白石はこの中で、自らの父親のことを、「父にておはせし人」と呼び、母親を「母にておはせし人」と表現し、祖父と祖母のことを、それぞれ「祖父(おおじ)にておはせし人」、「祖母(おおば)にておはせし人」と呼んで最大級の敬意を表わし、懐かしんでいる。
私も、白石が「折たく柴の記」を子孫のためにひそかに書き残した年齢に達した。白石が、父母と祖父母について、心からなる敬意と感謝の気持がにじみ出るような表現を用いたのを、実感として判る年頃になったのである。
房内放送からゆったりした浪花節(なにわぶし)が流れてくると、ラジオの前で祖母と顔をくっつけるようにして聴いた幼いころの想い出が、走馬灯のように私の脳裡をかけめぐった。
週のうちに何回かきまって流されるプログラムのうち、最後まで馴染むことができず違和感を覚えたものが二つあった。
一つは、「保護司の時間」という刑務所の自主制作番組である。“更生とざんげの日々”のテーマで、受刑者あるいは仮釈放中の人が、自らの思いを文章に綴り、ナレーターが朗読するものだ。
更生とかざんげと言われても、私の場合は無実の罪をマルサと検察によってデッチ上げられて独房に放り込まれているわけであるから、違和感などという生やさしいものではなかった。
「ウルサイ!」、「ヤカマシイ!」-何度心の中でつぶやいたことであろうか。朗読しているナレーターに対してではなく、このような番組を強制的に聴かせる官に対する怒りからであった。
今一つは、国税庁がスポンサーになっている「税金の話」であった。牟田悌三さんが若い女性を相手に、軽妙な語り口で税金の話をする番組である。
国税庁提供というのがまず気に障った。万全ともいえる多くの証拠物件を提示して、脱税ではないことを必死になって弁明したにも拘らず、証拠を捏造したり改ざんしたりして真実をねじ曲げてまで告発した国税当局である。
「コノヤロー!」、「バカヤロー!」、「フザケルナ!」-声に出したりすれば、規則違反のかどで懲罰が待っているので、心の中で繰り返した。老練な役者である牟田悌三さんに対するものではない。理不尽な犯罪的仕打ちを平然と敢行したスポンサーである国税庁に対するものであり、名状しがたい憤りによるものであった。牟田さんと女性とのかけ合いが軽妙であればあるほど腹をたてていたのである。
-
前の記事
141 房内放送 -その2 2006.02.14
-
次の記事
143 房内放送 -その4 2006.02.28