143 房内放送 -その4

****4)その4

房内放送にはNHKだけでなく、民放ラジオも組み込まれていたので、番組の途中でコマーシャルが入る。普段であれば全く気にならないようなことが、独房という特殊な閉鎖空間にとじ込められていると、気になってしかたのないことがある。房内放送のコマーシャルの中にも神経にさわるものがいくつかあった。

「皆生(かいけ)温泉、サニー・テニス横、ホテル○○、お二人の、めくるめく愛のひとときをおすごし下さい。」

モーテルのコマーシャルである。房内放送はもっぱら、禁酒、禁煙、禁女を強いられている未決囚とか受刑者に向けられるものだ。このようなコマーシャルをわざわざ流して、どうせよというのか。

「今年もホテル一畑のビア・ガーデンがオープン。お誘い合わせの上、ぜひお越し下さい。夏のひととき、宍道湖の夕日を眺めながら、ググッと一杯!」

ビア・ガーデンのコマーシャルである。これまた飲みたくとも飲むことのできないビールを飲めといっている。

ビールといえば、-

学生時代に、週に一度位の割合で寮の各自の部屋に4、5人集っては、コンパと称して飲み会を催していた。それぞれがビールとかウイスキー、あるいは親からの仕送品の干魚とか缶詰などのつまみを持ち寄っては、たわいのない話をし、手拍子をとって寮歌とか猥歌で盛り上がっていたのである。
ウイスキーといえば、一番安いサントリーのトリスであった。まれに、アルバイトで臨時収入を得た寮友が、一ランク上のレッドを持ち込むことがあった位である。一級ウイスキーであったホワイトなど、我々のコンパには全く縁のない高嶺の花であった。日本酒についても勿論2級酒である。
つまみについても、寮の近くにあった肉屋が作っている揚げたてのメンチカツとかコロッケが添えられたり、八百屋から手に入れたキャベツをザクザクときざんだ生キャベツが加えられることがあった位のもので、まことに質素なものであった。
しかし、私達は若かったし、何よりも全国各地から一騎当千の負けず嫌いが寮に集っていた。それぞれがお国ことば丸出しで顔をつき合わせて話をしたり歌ったりするだけで場が自然と盛り上がり、それだけで至福の時を持つことができたのである。
寮歌は、先輩から歌い継がれてきた我々の学校のものだけでなく、一高、三高、北大などの寮歌も好んで歌った。
猥歌も又、先輩の寮生から後輩へと代々歌い継がれてきたもので、露骨で淫靡な歌詞を、節をつけて大声で合唱した。男同志が連れ立って色街に繰り出すのと似たような感覚であったろうか、仲間内の結束が強まっていくようであった。
猥本とかエロ写真の類いも各自で持ち寄ってはコンパの添え物とした。寮生の中にはこのようなものを生理的に嫌悪する者もいたが、少なくとも私のまわりにいた連中は、私も含めて、嫌悪するどころか好奇心が旺盛で、猥雑のかたまりであったので、ひっぱりだこの状態であった。私に関していえば、この方面の好奇心と欲求は、年を重ねても一向に衰えるどころか、益々旺盛になっている。私が胸を張って自らを俗人中の俗人と位置付け、「非君子」をもって自任するゆえんである。

結婚して40年になるクリスチャンの配偶者は、私とは違ってかなりのケッペキ症で、こと趣味に関しては私と大きな隔たりがある。たとえばテレビ番組を一緒に見ることなどほとんどしない。私は、芸人としてのビートたけし、明石家さんま、島田紳介が大好きで、「TVタックル」、「恋の空さわぎ」、「行列のできる法律相談」など、毎週欠かさず楽しんでいる。この三人の天才的な芸人には感心することしきりであるが、涙を流して笑い転げている私を見る配偶者の眼は、どことなく冷たい。

そこで、房内放送の迷惑この上ないコマーシャルである。狭い空間に閉じ込められて禁欲生活を強いられているのに、モーテルへどうぞとか、生ビールを一杯とか言われて、俗人である私としては素直に聞けるわけがない。ったく。
あるいは、松江刑務所の放送担当者は、多分にサディスティックな性格の持主で、受刑者とか未決囚をからかっては精神的にいじめて楽しんでいたのかもしれない。

 

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