冤罪を創る人々vol.90

2005年11月29日 第90号 発行部数:414部

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「冤罪を創る人々」-国家暴力の現場から-
http://consul.mz-style.com/catid/11

日本一の脱税事件で逮捕起訴された公認会計士の闘いの実録。
マルサと検察が行なった捏造の実態を明らかにする。
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山根治(やまね・おさむ)  昭和17年(1942年)7月 生まれ
株式会社フォレスト・コンサルタンツ 主任コンサルタント
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「冤罪を創る人々」 ― 国家暴力の現場から ―
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●「引かれ者の小唄」 ― 勾留の日々とその後
http://consul.mz-style.com/catid/41

「安部譲二氏との出会い -その後1」より続く
http://consul.mz-style.com/item/436

4.安部譲二氏との出会い -その後

2)その2

今回の標題についてはなんとも悩ましい思いをした。作家の名前
の後に、「氏」とか「さん」をつけるべきか否か悩んだのである。
前回は、「安部譲二との出会い」として、敢えて敬称を付けなかっ
た。勿論、作家を軽んずるが故に敬称を省略した訳ではない。この
点、「冤罪を創る人々」において、マルサとか検事の全てを呼び捨
てにしたのとは訳が違う。この連中にはどうしても敬称をつける訳
にはいかなかったのである。組織をあげて社会正義の名のもとに犯
罪的行為をし、個人的にもためらうことなく組織的非行に加担し、
一かけらの反省もしようとしないが故に、敬意を表することができ
なかったからだ。

安部譲二との出会い
http://consul.mz-style.com/item/307

前回私は「作家安部譲二」と記しているが、そもそも作家なる言
葉は、文章を書くことを生業(なりわい)としている物書き全てを
指すものではない。物書きの中でもほんの一握りの人のみが作家と
呼ばれるのにふさわしい。私にとって作家というのは、物書きにお
ける最高の尊称なのである。私の独断と偏見にもとづいて「作家」
なるものを考えてみると―。

まず物書きのうち、フリーライターとかジャーナリストはもちろ
ん作家ではない。新聞記者とか編集者なども同様である。たとえ、
名文をものにすることで名高い、朝日新聞の「天声人語」氏でも作
家とは言えない。文章の達人であることは作家の必要条件ではあっ
ても、十分条件ではない。それだけでは作家と呼ぶわけにはいかな
いのである。糟取り雑誌に寄稿している常連など、言わずもがなで
ある。
更には世間で当然のごとく使われている”××賞作家”なる言葉
も気に入らない。賞を授けただけで「作家」を標榜させるなどとん
でもないことだ。作家の粗製濫造である。真の作家というものは、
一握りの選考委員の好みとか出版界の思惑などによって生まれるも
のではない。生まれるべくして生まれるのが作家であり、多くの具
眼の読者の支援と歳月による洗礼が必要だ。
中でも特にひどいのが芥川賞作家と称するものだ。あるいは例外
的な存在があるかもしれないが、総じて作家のレベルに達している
とは思われないのである。一人よがりの作品が横行し、まともな日
本語がないがしろにされているとしか思えない。芥川賞作家と聞い
ただけでアレルギー反応を起こし、その作品は私にとっていわば路
傍の石と化すことは先に述べた通りだ(※「安部譲二との出会い」
を参照)。
あるいはまた、自らのプライバシーをやたらと売り物にしたり、
他人のアラ捜しをしたりしている物書きがいる。私生活をネタにし
て、売らんかなの作品を書いている連中だ。どのように変った体験
をし、あるいは他人のプライバシーに踏み込み、それをもとに作品
に仕上げてみたところで、直ちに作家になどなれる訳がないのであ
る。

安部譲二氏の場合はどうか。多彩な職歴を持ち、氏自らの言葉に
よれば”極道の世界”に長い間身を寄せていたところなど、並大抵
の経験ではない。
たしかに、安部氏を作家として世に送り出した「塀の中の懲りな
い面々」をはじめ多くの作品は、氏の尋常ならざる体験をベースに
したものである。しかし、安部氏と同じような体験をした人であれ
ば、誰でもあのような作品を生み出せるであろうか。生み出せる訳
がない。当然のことである。
あるいはこうも言えようか。極道が作家になったのではない、作
家がたまたま回り道をして極道の世界に足を踏み入れていたという
ことだ。逆に考えてみるのである。

あるいは例え話で考えてみようか。
仮に、東大生が詐欺行為をしたとしよう。マスコミはきまって
「あの天下の東大生が詐欺をした!!」とかいって大騒ぎするに違
いない。エリート中のエリートであると一般に思われている東大生
が、よりによって破廉恥な詐欺行為をしたと考えるならば、たしか
にニュース・バリューが生じ、話題にもなるであろう。

ところが、東大生が詐欺をしたとは考えないで、逆に詐欺師がた
またま東大にもぐり込んでいたと考えるとしたらどうであろうか。

(続きはWebサイトにて)
http://consul.mz-style.com/item/441

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●山根治blog (※山根治が日々考えること)
http://consul.mz-style.com/catid/21

「凛にして毅なる碩学、北野弘久先生 -2」より続く
http://consul.mz-style.com/item/437

・ 凛にして毅なる碩学、北野弘久先生 -3

今一つ私の目をひいた鑑定意見書は、竹中平蔵氏(当時.財政経済
担当大臣、現.総務大臣)に関するものでした。
「住民税脱税犯における偽計行為(1)」と「住民税脱税犯にお
ける偽計行為(2)」の2章に分けて論じられているもので、それ
ぞれ、東京地裁に提出された先生の鑑定所見書であり、東京高裁に
提出された先生の補充鑑定所見書の概要です(同書、567ページ~
586ページ)。

ことの発端は次のようなものでした。写真週刊誌「フライデー」
(2002年8月16日号)が、竹中平蔵氏について住民税の脱税
疑惑のあることを報道しました。竹中氏が、日本中から自らの住民
票を抹消して住民税を違法に免れているのではないかという疑惑で
す。つまり、毎年年の暮れになると住所をアメリカに移し、日本に
おける1月1日現在の住民票の記載を意図的に消してしまい、住民
税をごまかしていたというのです。
竹中氏は、いわれなき誹謗中傷をされ名誉を毀損されたとして、
出版社と編集者に対して、裁判を起こしました。
北野先生は、フライデーが疑惑報道をする際に税法学の専門家と
してのコメントを求められていた経緯もあり、被告とされた出版社
の要請に応じて、フライデーの報道は決していわれなき誹謗中傷で
はなく、竹中氏の一連の行為は税法学的には明白な脱税行為である
とする鑑定所見書を作成されたのです。

先生の鑑定書は、的確な事実認定のもとに、一分のスキもない論
理構成がなされている見事なものです。
現職の国務大臣が、「偽計行為」(地方税法324条1項で“偽
りその他不正行為”と規定されているものです)を敢えて行ない、
地方税の納税を免れた(これを通常は脱税といいます)というので
すから穏やかではありません。しかも、マスコミの報道に端を発し
たものとはいえ、この脱税の指摘は日本の税法学の第一人者による
ものです。税法の素人である一般のジャーナリストが指摘するのと
は訳が違うのです。

先生は、鑑定書の末尾に「結語」として次のように述べておられ
ます。

「鑑定人(山根注。北野先生のことです)は、税法学の研究者として、
また若干の先輩として原告(山根注。竹中平蔵氏のことです)に申
し上げる。原告は、税財政を含む経済問題の研究者として、また現
に国政を預かるものとして、全国の納税者(タックスペイヤー)に
対して、本体行為について心から謝罪して下さい。」
(同書、574ページ)

北野先生は、長い間法学者として税法の研究に携わり、税の実務
にも通暁されている方です。竹中氏は、この碩学の真摯な呼びかけ
に対してどのように答えるのでしょうか。
論語に、

「法語の言は、よく従うこと無からんや。これを改むるを貴しとなす。」

とあります。また、

「過(あやま)てば即ち改むるに憚ることなかれ。」

とも記されています。
私は、若い頃竹中氏と同じ大学に学んだ者の一人として、竹中氏
がどこかの総理大臣のように口先だけでごまかしたり、なんでもあ
りの手練手管を弄したりしないで、碩学の言葉を真正面から受けと
め、しかるべき対応をなさるものと期待しています。

―― ―― ―― ―― ――

師の凛とした澄明性を眼でイメージして、一首。

”藤波の影なす海の底清み 沈(しづ)く石をも珠とそわが見る”
(万葉集巻19、No.4199)

 

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